北会津村誌 -427/534page
田圃での機械化した脱穀風景、中荒井付近(41.10.16写す)は竹で、藁すぐりのようにして こいたともいうが、福島県下な どには、その痕跡がみつかって いない。いなべやという名称だ け残っているが、ここに稲をあ げておいて、冬中かかってにわ で稲をこいていた昔の面影がう かぶ。その当時は作業小屋に相 当する小屋もなかったので、に わが土間で、専ら農作業場であ った。このような形式は、岩手 県北部にはまだあり、福島県で も山間部農家などにはまだ見られる。
運搬するにもリヤカー、テーラー利用などが流行したし、発動機、小型モーターなどの普及によって、田圃で 脱穀・調整をするという機械化農業が普及してきている。
稲こきはせんばごき時代は明治末でほぼ終り、本田辺では大正元年にチェン式の足ぶみ稲こきがはいったとい う。籾摺機の発動機によったのは大正六年頃といい、稲こきの小型モーターによったのは、それより一寸後れる かも知れない。この頃が、北会津村というより、日本農業の産業革命の一転機といってもよいようである。土ず