北会津村誌 -428/534page

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くち果てようとしている米搗き臼(田村山にて)
くち果てようとしている米搗き臼(田村山にて)

るす、米搗き臼のいっせいに片附けられたのもこの頃であ る。

 米を白米にすることは、恐らく鎌倉時代頃から覚えたろ うといわれているが、この米搗きは専ら臼の手搗きであっ た。これが水車の 廻転機械を利用す るようになったの は、機械化への飛 躍であったが、こ の動力を分散した農家なり、野良に運ぶことは容易でなく、発動機、小 型モーターの発明により、まず脱穀調整、米搗き、製粉などの屋内作業 から日本の農業革命はなされていった観がある。

 戦時中から米の供出制が実施され、共同出荷は、強制出荷などになっ たこともあるが、稲作はやはり日本の農業の主幹であったから、千年一 日といわれた慣行農業も、大正・昭和にかけて大飛躍をしたことにな る。

本田の農業倉庫前に野積みされた米俵(41.11.4風景)
本田の農業倉庫前に野積みされた米俵(41.11.4風景)

  二、さえんばの蔬菜つくり


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