北会津村誌 -432/534page
家製品だけでは足りないから、若松市から肥くみ或は、肥あげといって、昔は、農家が年に米をいくらといって、 御礼をしながら肥のくみあげをしていたものである。これは現在全く逆に、町家では、くみ取りの費用を農家へ 支払う始末になったが、その一因は化学肥料の発達と、人糞による蔬菜栽培を、衛生的にもきらうなどのことが うかがわれる。
3、その他の産業 山地を全くもたない、中州開拓の純農村で、全く農一色の村といってもよい。大川・鶴沼 川で、いくらか漁業を営んでいた人々もあるが、殆ど兼業で、特に下流に水力発電のダムが建設されてからは内