北会津村誌 -434/534page
商店へ一括納入し、月一, 〇〇〇円程度のものであっ たという。昭和十二年東北 興業の資本を導入して、も との資本二万円を十八万円 に増資、東北窯業と改めた。 戦争中は軍需指定工場と なり五,五〇〇坪の工場に 拡張した。しかし敗戦後、 漸く立直ろうとした折、二 回の火災にあい、現在漸く 苦境を脱して復興をたどっ ている。
三、労 働 慣 行
1、労働による定量性 収穫量は面積を基礎に定量されることが多いが、逆に労働によって面積を量る慣行が 各地で行なわれていた。たとえば田うないは一人一日五畝、これが馬耕になって二反、機械になって四反から五