北会津村誌 -436/534page

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力だめし、一人前の力量の評価のようにいわれていた。

 これも今失われようとしているが、草刈りは一人前三駄、一駄は六ぱまるき、朝早く山の草刈に出た村もあ る。よわりとしてなわない、わらじつくりなどもやったが、太繩なら五わ、細なわなら三ば、わらじは五足をつ くるのが一人前のようにいわれていた。これを基準として、これ以上に働くのを、仕事のはげみとしていたよう である。

 2、ゆい・村人足 仕事によっては、近所の二、三軒がゆいでやるとか、おしといって共同でやることが行な われていた。ゆいは現在も或る程度行なわれている。労働を労働でもって返すのを、ゆいがえしといっている。 この成長したように見えるのが部落の共同作業であるが、出尻部落などは、部落で二〇年間も共同田植をしてき た珍しい例である。

 村人足も、個人の仕事でない場合が多いが、村の共同作業としては大切である。春の堀払い、道普請、秋の収 穫期にも、殆ど同じように行なう。これは部落共同体の組織にも関聯することである。

 もう一つ、労働の会津地方に特に強く残っている慣行として村休みがある。他地方では、その統制が容易でな く村祭り、節句のような村休みが行なわれているに過ぎないが、会津地方では、殆ど青年会、昔の若者組、若連 中などといった組織で、村休みの統制の実権を握り、春の最初の青年会などで一年間の休み日の計画をたてて各 戸にくばり、又特に村の行事があるとか、雨天でその節の仕事が容易でない場合は、臨時の休みを行なうことが ある。

 この実施は、現在もなお相当きびしく、朝、太鼓で合図するが、一番太鼓が予知で、二番太鼓で野良から上っ てくる。三番太鼓では、野良に決して残っていてはならないというようにしているのが多い。多くは毎月一、五


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