北会津村誌 -438/534page
第四章 一生の儀礼
一、誕生と年祝い
1、出産とおぼたて うぶ屋というような別棟の産室のあったことは聞かないが、納戸のような薄暗い部屋を 産室として、もう座産ということも忘れてしまったようで、くずぶとんなどを敷いて、産屋のねべや、即ち巣を つくる。
産の忌は死火より強いとはどうしたことであろうか。二十一日の枕引き頃までは、産婦の食べ物は別火で炊い た。
初産は必ず実家に戻ってするものという慣行も、殆ど崩れないで残っている。
現在のように、単に近所からのとりあげ婆さんにまかせるのでなく、免許をもつ産婆があり、医術が進んで、 時には病院での出産もあるくらいであるから、あまり産婦も出産に恐怖を感じるということもなくなったが、産 婦はまず関戸のおんば様に参っておくとか、昔の十九夜講、二十三夜講、子安講なども、お産の難渋な時代に、 神仏に祈願して、ひとえに安産を願ったことの名残のようにみえる。
農婦はお産間近かまで過労な仕事をつづけるから、難産も多く、文化・文政頃の十九夜講、二十三夜講の供養 碑の目立って多いこと、子安観音、如意輪観音の信仰が厚かったこともそれを裏付けているかにみえる。医術に 頼ることはよいことであるが、出産に対する敬虔さが失われ始めていることは、一生の儀礼から、決して進歩で はないようである。