北会津村誌 -441/534page

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分家格は、その分家同志というように、同格の家柄の結婚する風が強く育成されてきた。これは武家社会の家柄 婚の模倣のように思われる。これが遠方婚、即ち他部落との婚姻、見合い婚、仲人婚などを産むのと、表裏一体 になってきたようである。

 今でもこの家柄縁組を固執する家がないでもないが、反面それを封建性の打破として、あまり重視しまいとい う風も起きてきている。

 見合いなどは、近年相当行なわれているようであるが、もとはその見合いもなく、近親者が家見、娘見などと いって、当人でない人々が、よそながら見てくるなどの風が、つい最近まであった。それであるから、結婚の当 夜はじめて、横目で顔をちらりと見たなど、顔も性格もわからないまま、家柄と年頃、両親、育ちなどの客観性 から、仲人を頼んで結婚していた例が多かった。それでも、両親を信じ、人間よりも家を護ることを大切にする 風が流れていて、必ずしも離婚率が高いというようにはなっていなかったようである。

 村中の男女間に、よばいがあったという話はよく聞くが、結婚を前提としたよばいではなく、単なるいたずら などと思われていた。よばいはもともと男女が呼び合う意味で、夜、娘の許へ這え忍ぶというような、みだらな 意ではなく、よばい婚という、結婚発達史からみた一過程があったようである。

 つぎに足入れということが、近年まで相当あったようである。正式な結婚披露宴を行なわないで、事実上結婚 していることで、年廻りとか、婚礼仕度がまだ出来ないとか、家族労働を主とするので、労働力の調整がうまく ゆかない時、一、二年の短期間、嫁は、実家と婚家を行ったり、来たりしていたものを指していた。これも足 入れ婚という一つの結婚様式とみられ、青森県の下北半島の僻村などには、近年まで、この様式が固執されてい た例がある。会津地方などで早くから、本来の意味でなく、便宜的なものになって、近年まで名称のみが聞かれ


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