北会津村誌 -444/534page
の一夜などと理由をつけようとしている、結婚初夜の床入りのない風は強く残っていた。もとは三つ目でないと 床入りしなかったというし、現在も、婚礼当夜だけは床入りしない風がまだあちこちに残っている。漸く戦後、 当夜の床入りや、新婚旅行などといって、婚礼の晩に東山温泉に一泊させるところまで進んでいる。初夜のない のは、恐らく部落婚時代、足入れが既に済んでいる証左として残ったものかとも思う。 かつて下りとか、仲間入りなどといって、村の同輩などを、特に当夜か翌夜招いて、嫁を披露する風は、昔か らの仲間入りの習俗として大切なものであった。婿も若者の仲間入りの祝膳を設けることがあるが、近年手拭な どを持って、村各戸に挨拶廻りして済す風なども見受ける。
饗宴も今は簡易になったが、もとは茶菓子を呈上してから本膳、これには飯や餅がつく。つぎに祝いの酒盛り の膳がついた。そして終宴の頃中止といって、料理番が口上面白くそば売りなどになって宴がたけなわになり、 崩れかけるなどの順に行なわれたものである。
つぎの日をひともどりといって、婿家の母などが嫁を里へ送って行く。その返礼として、今度は、嫁の実母が 婚家へ嫁を送ってくるなどの行事がついているが、これらも簡易化されている。
貞享二年の風俗帳には娘を他国へ縁付けることを屋らひ行といったとあるがよく意味はわからなくなっている
三、葬 儀 習 俗
1、霊魂の行方 霊魂が果してあるものかどうか、どこに存在するかとなると、大切な問題であるが、面倒に なってくる。霊魂が身体を離れる時、ごく近親の人には、遠距離にいても知らせに行くという。戸をあける音が したが、起きて行ってみたら誰れもいなかった。その中に死んだ電報がきたとか、後で知って思い当ることがあ