北会津村誌 -447/534page

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どをつけ、ひたいに紙を三角にきったひたい紙と、かんざしなどといって、紙きれをまきつけた小さい棒をさ す。素足にわらじをはく風習にも、古い習慣を崩すまいとする意識がみえる。婚礼もそうであるが、葬式には、 旧習の固守性がはるかに強いようである。

 墓地には地蔵などがあって、それを左廻り三回廻って、供養の式を行ない、土葬にするが、最初の一塊の土く れは近親者がなげることになっている。その道中には辻蠟をたて、葬列には龍頭のようなものを飾るのが多い。 魔よけの意味らしい。

 墓地には笠をかけ荒繩で石を吊し、供え物をする。わらじ、ぞうりの類はぬぎ棄ててくる。  出棺すると、その部屋は必ず藁と箒などではき、参列者が帰宅すると、塩をふりまいて清める。そして改めて 位牌の前で三十三観音の御詠歌などを、歌読みといって献ずる。墓には七本仏などといって、棒を七本立ててお き七日目毎に参って四十九日目にぬき終るようにしている村もある。百日までは位牌は座敷にかざり、百日目で 仏壇に移す家が多い。

 村人は逝去の報を伝えきくと、とりあえず打ちつれて、つら見舞などといって、見舞の物を持たないで、まず 悔みに伺う。葬式の日は見舞をもってゆくが、これには米見舞といって一升とか二升、或は近所の人は三升とか 「貰っただけは返す」といって、見舞受帳をつくっておいて、それだけは返す習慣がある。親戚などにはふかし 見舞といって、おふかし五升とか一斗見舞などという例もある。相互援助の意味が充分うかがわれる。西麻生で は村人は二升持って行って手伝うというし、出尻では村一般は白米一升に香代十円、近所は白米二升に香代十円 見舞返しは一切しないことにとりきめてあるそうである。これには、村の生活改善運動による改革もみられる。

 貞享二年の風俗帳には耳ふさぎといって、同年輩の子供は餅か粢で耳をふさいで、川へ捨てる風があったとあ


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