北会津村誌 -448/534page
る。これは石城地方などには、現在も少し残っている風で、同年者の死人の知らせは聞くまいという、何か祈願 のような形がうかがわれる。
第五章 年 中 行 事
一、節 日
貞享二年(一六八五)、文化四年(一八〇七)の中荒組風俗帳には四節として、正月、五月、九月、霜月をあ げ、日待、月待を行なっていたとある。今は五節句という言葉はあるが、三月三日の桃の節句、五月五日の端午 の節句、九月九日の重陽の節句、これは菊の節句などともいわれ、これらの三節句のみが強く意識されているく らいで、他の二節句は村により、人によっても異なるようにさえなっている。
しかし一年を、季節の移り変りと共に、古くから折目をつけようとしていたらしく、会津地方ではこれをせつ びとか、ものびといって、村を休み、餅を搗くとか、何か変り物をつくって、神仏にも供え、敬虔な気持でこれ を意識しようとしていたようである。その重なものが三節とか四節・五節などになる。
九月九日の重陽の節句などは、九日を重陽の節句といい、つぎの十九日を中の節句、二十九日を後の節句とい って、一ヵ月に三度もの節句を意識しようとしているらしい。
この節句には節礼に行くものとされているが、これは正月五日・三月三日・五月五日、それに盆礼の七月十五 日で、先の節日とは必ずしも一致しないが、嫁や婿は夫婦揃って里の親に、酒一升、餅などを持って季節の挨拶に