北会津村誌 -454/534page
く、元旦はそばか雑煮などで過す。若水くみは行なっている家が多い。三日は不成就日(不浄日)として休む。 これは今も休む家が多い。棚さがし.雑炊を食べるとあるが、これは、今どのくらいの家で果して行なっている か。四日は聟の礼日としてある。これは今聞かないが、知っている古老があるかどうか。七日の七草粥は、実際 行なっているかどうかは知らないが、年中行事の言葉としては、今によく伝えられている。
小正月の行事は風俗帳にもよくみえている。まず宵の十四日に、もちの年越しといって、なになりとも一菜を 調えて供える。一寸御馳走の品を神と食膳に供える意味かと思う。水の木といって若木にそば、栗などの餅を団 子につくってさす。雪穴を掘って子供が遊ぶ。鳥追い、かせどり、これはわらだに小判、小粒、農具などの絵を 描いて、物祝して戸をたたく。米、粟、団子、鳥目などを遣して水をかける。「かせどりのことぶき」ともいい 「農業節無病」ともいうとある。これは現在も行なう団子さし、鳥追いのことであるが、秋田地方の雪の穴を掘 って遊ぶかまくら類似のものが中荒井組にもあったことを考えると、磐城地方の鳥追い小屋、即ち鳥小屋を雪で つくったもので、決して秋田地方に限られたものではなかったようである。中に神様を祭ったかどうかは書いて ない。子供が無意味に遊ぶ行事は考えられないので、恐らく一つの神事であったのであろう。
かせどりは、相当広く各地で行なわれ、若松などには近年までというより、今も子供がやりかねないほどの伝 統をもっているが、もう意味はわからなくなり始めている。北会津村に現在行なわれていることは聞かない。
なりきぜめも、槌棒ひきも、さいのかみも、十四日に行なった村があったと思うが、風俗帳には十五日の方に なっている。
風俗帳の小正月の十五日にはまず、餅を入れた粥を、あきの方の雪の上に供え、諸作のまねごとをしたとあ る。これが現在も今和泉に行われていることを聞いて、わざわざ写真をとりに行なってみた。少なくも三〇〇年