北会津村誌 -457/534page

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ならないなどといっているのは、意味が不明になってからの附会で、やはり会津地方で伝える、神のお通りにな る門になぞらえたもので、冬に山に帰って山の神になっておられたのが、春になって田の神、即ち農神として下 ってきて、農作を見護りなされ、秋に一切の田の行事を無事果されて、山の神になってお帰りになるという意味 であることがわかってきている。山の神と田の神は同じもので、季節により山を下りられるということは、磐梯 明神が山の神で、本寺の磐梯明神、ここは永く恵日寺下にあったが、ここに古くお田植の神事があったことなど で、会津地方にも、これを裏付ける名残が、うかがわれないことはない。明神岳が山の神で、高田の伊佐須美神 社の御田植祭が田の神祭であろうと思われるが、もともとは同じ神であったかと思う。

 豊年予祝をして、秋に収穫を終ると、必ず感謝の祭をすることを忘れなかった。

 田植が終った時のまぐわあらいには、てないと餅を馬鍬、えんぶりに捧げる。高田伊佐須美神社は産土神様で 七月十二日がさなぶりのお田植祭、つぎの日がこさなぶり、田植が地方としても無事終って、田の神がお帰りに なる、さのぼりである。さは田の神の意であろう。

 虫送り、風祭り、雷神様のお祭にはお日待ちをして豊年の祈願をするので、感謝ではないが、早秋の豊年踊り 盆踊りなどには、豊年の見通しのついた喜びと感謝がこめられている。稲を刈上げると、刈上げ餅を搗く。十月 十日頃に虫供養などをやる村もあったが、農薬で大量に殺すようになっては、虫供養などという、憐憫な気持が 湧くかどうか。十一月一日を特に刈上げ朔日などといっている村もある。

 籾の脱穀調整が終ったときのいなごばたきは、村によってはむしろばたきなどともいっているが、これは現在 も殆どの家で、かいもち、おはぎなどをつくって、稲作作業の最後の行事として感謝をこめて行なっている。

 この頃に恵日寺から大頭・小頭が廻ってくるが、いなばちは、稲の初穂で、稲二束を、豊年を感謝して、田の


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