北会津村誌 -468/534page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

おしんめいさまは、伊勢神明、熊野神明の系統であるなどともいうが、東北地方に広く、特に岩手県などには現 在もよく残っている巫女、いたこの持歩くおしらさまの信仰形態と酷似しているので、これとも無関係とは思わ れない。

 北会津村は、この古めかしい、麻、絹、メリンス、モス、木綿などさまざまの端布をつけているのをおせんた くとはいっていないようであるが、信仰者が順次着せていったもので、少くも徳川時代の末期から、現在に至る までの衣服材料の歴史を、現物でひもといてみる観がある。

 小松の男しんめいは高さ二九センチ、女しんめいは二七センチ、大島のものは共に二五センチで、両手にそれ ぞれ持って祈禱ができるようになっている。大島のものも、昔この家の人が持歩いたというが、専業おわかさま などでなく、普通の主婦が持歩いたところにも、民間にはいりこんでいる信仰の面影をもっている。

  三、屋敷神・道祖神・にわたり神社その他

 貞享二年の風俗帳に二月十日を地神祭として粢を供えるとあるが、地の神とはどういう神であろうか。屋敷ど りをする際、地神祭は現在も行なうが、その杭や繩を屋敷のいぬいの隅などに小祠を立て、地の神として祭る風が 岩手県などに残っている。それに類するものであるだろうか。粢は米の古い食習で、徳川末期まで、会津地方で も神社に供えるものだけは古風を固持して粢を供えたことが、文化六年の新編風土記などでも各所で見受ける。

 家の神をうちがみと呼ぶ地方があるが、北会津村ではそのこともあまり聞かないで、屋敷神という名で統一さ れ、その殆どが稲荷の小祠で、いくらか神明様、その他がある。山の村とちがい単一の農業開拓地方としてまた 当然かも知れない。村の草びらきをした古い家の内神、屋敷神が、やがて村が大きくなって村の鎮守神になって


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は福島県北会津村誌編纂委員会に帰属します。
福島県北会津村誌編纂委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。