北会津村誌 -469/534page
きたものとの、系列のはっきりした神社もあまり確証がにぎれな い。中荒井村の旧肝煎が千葉家で、この旦那寺が千葉寺であるの は、関連性を思わせるが、 それを明らかにするには、既に資料が 散逸して容易でない。
これらの屋敷、家々 には興亡があり、特に 水害などによる村や屋 敷の移動もあり、その 上会津藩では寄せ宮、相殿、併殿を奨励して、幾つかの部落のを寄せ 宮した時代がある。これが屋敷神・鎮守神を混同させると共に、隣部 落の祭礼が混じたり、逆にその合同・分離で、いろいろの争いなどの 起った例も少くない。
どこの神社の境内にいっても寄せ宮の多いのに驚く。廃家の屋敷神 の移されたものもあり、石の小祠のみが、雑然として寄せられてもい る。ここが、小正月などの〆繩や、古くなった御幣の納め場所にもな っていたりする。
民間信仰がやがて年中行事のような形になっているものに道祖神が ある。もともとはみちの神で、災の神と書いたりして、小正月の火祭