北会津村誌 -470/534page
になって、現在も北会津村などでは、 盛んに行なっているところが多い。道 祖神として宮袋の入口にあることは、 宮袋の部落の項に述べた。
いろいろの伝承があって、その真相 をつかみにくくなっているものに、真 渡のにわたり神社がある。もとは蟹川 分になっていたことがあるという。こ れにいろいろな縁起がついたのは後世 で、広く他地方のものと比較してみる と、これも道路の舟渡し場に関係した 荷渡りに似た内容の神ではないかと思 われるふしがある。そして腰王神社と共に、裏日本より、阿賀野川などに沿うてのぼってきた信仰ではなかろう かと思われるが、民間信仰の系統を解くのは、既に容易でなくなっている。
白山神社も、裏日本系統の信仰のようにみる人もあるが、少くとも北会津村では清水のあるところに祭られ水 神系統と思っている人が多い。鈴淵の村中を通ったら、小さい棒に幣がはさんで河畔の橋脚に立っていたが、こ れも水神を祭ったものであるという。扇状地末端の清水が、この村の開発の拠点であったことは確かであるから 古くより水神信仰が厚かったことは当然であろう。