北会津村誌 -478/534page

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を一対として唱和しなければならないものになっている。
          ○
    さんさしぐれか、萱屋の雨か
     音もせで来て濡れかかる、しょうがいな
          ○
    お前百までわしゃ九十九まで
     ともにしらげのはゆるまで、しょうがいな

 この歌の起源、普及については、いろいろの伝承があって、定説はないといってもよい。東北地方の民謡研究 家の武田忠一郎は「東北民謡集 宮城県」(日本放送協会篇 昭和三十四年三月刊)に詳述してあるが、分布に も、時代にも、歌詞にも変化があり、天正十七年(一五八九)六月伊達政宗が、芦名義広を攻めて、磐梯山麓摺 上原で戦った際、伊達の一族亘理五郎重宗が、露営のつれづれに、

    音もせず芦野の夜の時雨来て、
     袖にさんさと濡れかかるらむ

と即興に詠んだのを、政宗が感心して、今歌われるように作り替えたのだという。会津地方では、敵軍の勝ちい くさに読んだものを、敗けた会津地方で祝い歌にしたとは、なんとも納得できないなどといいながら、慣習的に 歌いつづけている。これを二本松地方では、天正十四年政宗が二本松を攻めて勝った時につくられたものである といっている。

 同じ「東北民謡集」の福島県の部には(昭和三十八年四月刊)、仙台では手拍子でうたうが、会津では手拍子


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