北会津村誌 -480/534page

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民謡師匠荒木源次郎の墓(古麻生)
民謡師匠荒木源次郎の墓(古麻生)

ているものと思われる。その有名になったのは、寛政年間 江戸に流行して、同九年(一七九七)十返舎一九が、黄表 紙に「げんじょぶし」を、寿亭主人が「源女物語」などを 書き、同十年十一月中村座が顔見世狂言の浄るりの文句の 中に折込み、江戸で、当時の飴屋が流行させたためであ る。(山口弥一郎 東北民俗誌―うたげい考……玄如節に 残る歌垣の余韻)

 両堂の不動様その他の宵びちには、うたげい爺さん、婆 さんが集って、かけあんどんを中央に吊して、即興的にか けあいをしたものである。その名歌というのも、いくつか 今に伝えられているが、即興的な作歌には玄人的訓練が必要であり、節廻しはまことに面倒で、由緒ある玄如節 も、現代の人々が歌いこなすことは容易でないようである。

 磐水が源次郎の許へ弟子入りした時のかけあい歌が伝えられている。源次郎が、

    としも若いがあめなめごろだ
    おんどとるとは気がつよい

これに対して磐水は

    あめもなめるしおんどもとるし
    たまにやおばさの袖もひく


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