北会津村誌 -481/534page

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と返したという。源次郎も「まけた」といったとか。

 本田の孫右ヱ門という人が、鶴ガ城の人足にあげられた時、滝沢村の女のうたげいが、彼の背が低く、真っ黒 い顔を次のように笑った。

    ほんだまごえむきようがよくて
    みやまからすかくろからす

孫右ヱ門の返し歌は

    みやまからすもとぶとりなれば
    いしべざくらもめの下に

 この歌を聞いた人足頭が感心して、その日の仕事を免除したという。地名を読みこんだ次のようなのが残って いる。この類のものは多い。

    ほんだ十二所ほいとのでどこ
    ふくろたがきはみやぶくろ
          ○
    かたりましょうぞ小松の下で
    はらのよねづかとけるまで
          ○
    雨はしんしん降るあそ(麻生)なれど
    みのも笠をもかしわばら(柏原)


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