北会津村誌 -482/534page
荒木源次郎の葬式に、中荒井のおぶんという人が
あらきげんじょはしらはたたてて
えんまだいおの世話になる妻おきんは棺の前で
げんさおまえとこの世のわかれ
らくにゆかんせ極楽へと歌ったという。歌で師や友・夫を見送るうるわしい情景がみえるようである。民謡・俗謡とはもともと、この ような、身近かな郷土感のあったものであろう。
3、かんしょ踊 会津磐梯山という名で普及されている会津盆踊歌が、いつのまに、このような形で有名にな ったかをふりかえっておく必要があるように思う。
もともとは甚句という名で呼ばれていた。高田甚句などが代表的で、正調会津磐梯山などの名で、高田の盆踊 歌や、もっと古くからの個性をもつ本郷甚句などを大切に取扱うべきものかとさえ思っている。或は北会津村辺 の古老に、その古い流れをもっている人があるのではなかろうか。あれば、この際せめて録音なりとっておきた いと思ったが、今回はそこまで手が廻らなかったのは残念である。
これを村々の人は、高田のかんしよ踊などと呼んでいたのを記憶している人は、まだある。気違い踊りという 意味で、明治初年に越後五ヵ浜より若松へ来ていた油締めの若い衆が、阿弥陀寺境内で踊って、熱狂的歓迎を受 けてから、この名が出来たなどという人もある。しかし言葉の内容、節廻しから、元歌は玄如節にあったのでは ないかと思われる。しかも、会津でも甚句の形で、各地独特の音調があったように覚えている。決して近年に発