北会津村誌 -485/534page

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 野越え山越え里へ行った
 里の帰りに何もろた
 でんでん太鼓に笙の笛
 赤いまんまに ととかけて
 さくりさくりとくれんべいな
 したから泣かねでねんねろや

 2 手毬歌 やや生長すると、女の子供はよく手毬歌を歌って毬つきをした。それも古くは糸毬ではずまない ので、中にぜんまい綿などを入れることを工夫した。ゴム毬が流行してからは、専らこれを用いたが、糸毬の名 残があったものか、損じないためにもと、毛糸であんだ蔽いを毬にかむせたりしているのを見受けた。次の手毬 歌は坂内萬が、古田ゆきえ(七四歳)より採録したものである。

おえんおえん榎の木の下で、松葉長者の小娘じゃないか、下に白無垢あいだに黄(緋)無垢、上に七色の小袖 を見せて、しょなりくなりと薬師に詣る。薬師坊様おかよに惚れて、おかよよく来たくれたいものは、かせに かんざし、化粧の道具、まだもくれたい長崎かもじ、入れて結わせて後から見れば、たふが三尺、島田が四尺 結った元結一丈二尺、おまん出て見ろ、おせん出て見ろ、やんやほうと一こ貸した。
       ○
お城のえ、桜のえ、おさむらい、四はお籠でいじうか、いじう様どん、どんどとせ、とど神様のお屋敷は、こ こは桑葉の境の城、城やひ、城やふ、城やみ………城やとおで一こ貸した。

   ○わらべ歌


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