北会津村誌 -498/534page

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「暫く待て」と言って重役に取継ぎ、家老に諮り、殿様に言上に及んだ。殿は、
 「会津より遙々余に献上のため白雀を持参したとは奇特の至り、いたわって取らせよ。」
と言って籠の鳥と引き替に、金拾両を与えて帰らせた。あの男は山吹色の小判を肌に着け、まるで翅が生えたよ うにすっ飛んで帰国した。往復まる五日で家に帰った。男は女房子供と頭を突き合せて、
 「こんなこと誰にも言うでねえぞ。仕合せが逃げてしまうかんな。」
と確く口留めした。世の中はしかし寸善尺魔『隠くすよりあらわれるは無い』と言うことである。

 その年参覲交代で江戸に出た仙台侯は、千代田城で会津侯に面会した際、
 「これはこれは会津侯、着かぬことをお尋ね致すが、貴国には白い雀という珍しい小鳥が沢山いますかのう」
 「いや一向に存じ申さぬが。」
 「いや実はのう、貴国の百姓が白い雀を捕えて身共に献上しましたが、感服の至り。もっといるようでござら ばもう二、三羽欲しいもの。」
この話を聞いて顔にこそ出さないが心中激怒したのは若年の蒲生秀行。「憎っくき百姓どうしてくれるか思い知 れ。」と。帰邸の後すぐさま早飛脚を国もとに立てて、関所破りの、白雀国外持出し犯人を探索させた。町や村 に立てた高札は忽ち効果があって某月某日早朝、鳥龍を風呂敷に包んで大川を越した犯人を見た者が、訴え出て あの男は捕まって見せしめのため、近郷近在引き廻しの上、曾って白雀を捕えた大川の中州で、釜ゆでの刑に処 せられ、母子は阿呆払いと言うことで死罪は免れたが、財産や一切のものを身に着けることが出来ず、他国に流 浪しなければならなかつた。勿論そう言う罪人を出した村の肝煎五人組の面々も、吃度叱り置くということで、 暫く謹慎させられた。


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