北会津村誌 -500/534page

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 ここでは明治から大正時代までに、この地方に普及していた子供の遊びをいくらか拾って、その変遷のあとを 振りかえってみようと思う。郷愁をそそる、地についた遊びを思い出すであろう。

  二、失われはじめた子供の遊び

 1、ねつき打ち 春先や、秋稲をあげ終ると、男の子供が各々三〇センチくらいの棒を持って田圃に集り、先 を削っておいて、一人が田圃に打込んだ棒に打ちかけて、それを倒す遊びである。交互か何人かで組み、相手の 棒を倒すと勝ちになる。

 2、地蔵遊び これにはいろいろの名がある。かごめなどもその類であるし、蓮華のはななどといっている地 方もある。単にあてっこなどともいっていたようである。中に地蔵か、めくらになる人が、手拭か両手で目を蔽 うてしゃがみ、多くの子供は輪をつくって、歌など歌って廻る。終ると、いっせいにしゃがむが、中央の子供が 一人一人手でさすって、それを誰か当てる遊びである。当てられた人はつぎの中央の地蔵になる。

 3、かんたま打ち 雪国の遊びの一つであるが、雪で球状のかたまりをつくって、相手に打ちつけて割りくら をする。自分のを一層かたくするために、幾重にも中から雪をかむせて行って、柱や板に押つけては堅くし、年 輪の層のようにしてゆく。いくらか塩をまぜてみたり、一夜凍らしてみたり、子供らしい工夫をこらしていた。

 4、かた雪わたり 雪国の春先の遊びの一つにかた雪わたりがあった。これはまだ行なわれているかも知れな い。雪のない節には、曲りくねって歩かなければならない村の道も、かた雪の上だけは、大きな川でも横たわっ ていない限り、どこまでも、真直ぐに歩けるのが痛快であった。春先になって、日中の陽は熱くなって表面が解 け、夜急に低温になって凍りつくので、朝のうちなら自由に、ぬからないで歩けるというわけである。


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