北会津村誌 -507/534page
昭和二十六年福島市で福島県主催の郷土芸能大会が行なわれた時は、全会津獅子舞を代表して出演し第一位に なり、全国大会にまで出場した。その後二十九年二月日本テレビ放送、同年六月に福島県みちのく大会で第一位 を得、翌七月の仙台での東北大会に県代表として出演している。
現在、会津彼岸獅子舞の代表のようになっているが、構造改善の大事業実施中で、長男の労働力も不足気味な ため、数年彼岸に若松市の街頭へ出ることは扣えている。この民俗芸能は、北会津村の誇りとしても、保持した いものである。
二、会津大念仏踊
会津には念仏踊の最も古い形といわれる空也念仏が冬木沢にあるが、これは中絶したものの復興である。会津 大念仏踊は、普通は、単に念仏踊、念仏太鼓とか、念仏太鼓踊などともいっているが、会津若松市大町自然山融 通寺にある念仏摂取講というのが、古くからの中心である。
各部落にも念仏講の人々がいて、旧三月十五日の会津高田町の地蔵の祭礼、その他新鶴村中田観音、喜多方市 小沼安養寺などで、縁日をたどって念仏踊が行なわれている。大きく分けて、盆地の北半を北方の念仏衆、南半 を南方の念仏衆などといっている。
北会津村では両堂の不動堂の祭、その他の縁日に行なわれてきたが、本田・十二所に念仏太鼓の名手がいて、 本田の出井山本泉寺の祭日には、近村の念仏衆が集て念仏踊が行なわれていた。
念仏踊は日本の民俗芸能の原型ともみられるもので、ただ、その前奏に念仏供養の勤行儀式の残っている点が 他の芸能と異色がある。会津大念仏踊の勤行式には、導師が立って、香偈、三宝礼、三奉請、歎仏偈、略殲悔、