北会津村誌 -515/534page
一三四九 貞和 五年 会津小松合戦あり、本田村の百騎沼の伝説と関係あるよう伝える。 一三五六〜六〇 延文の頃 下小松に小松弾正包家築城。 一三五七 延文 二年 両堂不動尊の背に壇主小松金家住人法心如月の銘があったという。 一三六二 康安 二年 下荒井宝寿禅寺の鐘に同年の銘があったという。 一三六八 応安 元年 下荒井富田五代祺祐、熊野神社再建、塔供養を行なう。 一三七九 康暦 元年 下荒井仁範蓮華寺建立、富田氏五重の塔建設と伝う。 〃 〃 葦名七代、直盛幕の内に住む。 一三八一 永徳 元年 日什下荒井芝原山妙福寺建立と伝う。葦名直盛融通寺町小館に移る。 一三八四 至徳 元年 葦名直盛小田黒川に城を築く。 一四〇三 応永 十年 宮の下八幡宮に、下荒田村の修理棟札がある。 〃 〃 中荒井三所宮を融通寺に寄補するとの伝承がある。 一四一九 応永二十六年 大洪水、黒河川今羽黒下より決潰、佐野方面へ直流したとある。 一四三〇 永享 二年 下荒井熊野神社の木像に宝寿寺住持永亨二年の墨書銘があるという。 一四四二 嘉吉 二年 この年以前に、中荒井村に千葉寺建立。 一四五二〜五四 享徳の頃 石原の館に刑部信清が住んだとある。 一四九六 明応 五年 蓮華寺僧雄賢荒田邑に東泉寺復興。 一五〇四〜二〇 永正年中 和泉の智徳寺に雲龍住む。 〃 〃 西後庵に比丘尼住むという。 一五〇六 永正 三年 芦名盛高盛滋の時代に、富田美作、妙法寺、田村山に田地を買う。