北会津村誌 -516/534page
一五二五 大永 五年 真観中里に延命山徳善院開基。 一五三二〜五四 天文 中 宥澄千薬寺再興。 一五三六 天文 五年 六月二十八日大洪水、白鬚水という。岩崎‐橋爪間を泥で埋め、
大川は蟹川、佐野へ直流、和泉の諏訪神社流失。一五三九 天文 九年 芦名盛舜、飯豊山先達を祐順とする。 一五四一 天文 十年 高田の白山神社綸旨を受ける。白山信仰既に厚いか。 一五五一 天文二十年 伊佐須美神社に奥州二の宮正一位の銘額賜わる。 一五五五 天文二十四年 富田美作守滋実下荒田(宮ノ下)八幡宮修造の棟札あり。 一五六一 永禄 四年 古麻生宝幢院に俊意住む。 一五六五 永禄 八年 軽井沢銀山再開、下荒井に銀山街道の宿場できる。 一五六九 永禄十二年 葦名十六代盛氏岩崎山に築城、翌元亀元年向羽黒に隠居する。 一五七三 天正 元年 下小松東陽山常徳寺開山。 一五七三〜九一 天正 中 下米塚観音寺、黙蔵王草創。 〃 〃 下小松の北の館に、平田総石ヱ門住む。 〃 〃 上米塚泉現寺に普門住む。 〃 〃 葦名の臣荒井万五郎上荒井に築城 〃 〃 荒田村を相沢村と呼ぶ、相沢七右ヱ門盛宗が地頭であった。
熊野神社に宮田という社領をおく。一五七五 大正 三年 葦名盛興早逝し、盛氏小田へ戻る。館の観音を円智補修する。