北会津村誌 -518/534page
〃 景勝宥明をしりぞけ、寵遇する三宝院某を飯豊山の別当とし、宥明蓮華寺に帰る。 一六〇〇 慶長 五年 二月より景勝神指城を築く、関ガ原合戦、今和泉長泉寺に宥俊が住む。 一六〇一 慶長 六年 上杉景勝米沢三〇万石で移封、蒲生秀行再び来封、下荒井蓮華寺有明を再び別当とし、
飯豊山別当坊に五〇石寄進。一六一一 慶長十六年 本田出井山本泉寺を行蓮が草建する。 〃 〃 会津大地震山崎に地辷り起り、山崎新湖をたたえる。
寛永末(一六四三)まで三十二年間も完全には水がひかなかったという。一六一五 元和 二年 軽井沢銀山再開千戸の家建つという。下荒井の宿場にぎわう。 一六一九 元和 五年 九月二十九日下荒井に馬市立つ。 一六二二 元和 八年 中荒井に四つ檀のおかれたのはこの頃か。 一六二三 元和 九年 新鶴村和泉新田、新屋敷新田開かる。 一六二四 寛永 元年 下米塚観音堂長賢中興、宮袋新田開く。 一六二四〜四二 寛永 中 下荒井妙法寺を移し、観音堂建立。 〃 〃 十二所新田開く。西方山内一族に属する。 一六二五 寛永 二年 麻生新田開く。佐布川の地先に天満の開かれたのもこの頃か。 一六二六 寛永 三年 柏原円城寺に観誉住む。上米塚に出新田開かる。 一六二八 寛永 五年 大島新田開く、境野に出新田開かれる。各地に新田開墾がすすむ。郷頭職復活。 一六三六 寛永十三年 新田開発のため田奉行をおく。 一六三九 寛永十六年 下野新田開く、加藤明成若松城大増築、西出丸、大手、北出丸など増築される。