北会津村誌 -519/534page

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一六四三 寛永二十年 保科正之来封、高田組をおく、軽井沢銀山制ができる。蠟、漆の貢納始まる。
一六四五 正保 二年 大割元を廃し郷頭制とする。切支丹奉行をおいて取締る。
一六四六 正保 三年 この頃本郷で瀬戸焼を始める。
一六四七 正保 四年 会津藩駅逓制をおく。
一六五三 承応 二年 寺堀多聞院を円説再興する。
一六五四 承応 三年 高田に馬市はじまる。下荒井よりおくれること三十二年。
一六五八 万治 元年 蟹川村、下荒井村の端村より独立する。
一六六五 寛文 五年 会津風土記書上げ、中荒井組土地帳、高田組土地帳書上げ、地名の文字を改める。
一六六七 寛文 七年 七月十七日、大川、鶴沼川大洪水。
一六六九 寛文 九年 下小松常徳寺再興、切支丹制札をたて、きびしく取締る。
一六七〇 寛文 十年 大川の渡橋、上米塚など八ヵ所に定めが出される。
一六七二 寛文十二年 会津神社表編集。
一六七二 寛文十二年 会津旧事雑考九巻できる。会津神社志なる。
一六七三 延宝 元年 蕎麦目村より山内惣七十二所新田に来て肝煎となる。
一六七三〜八〇 延宝 中 高田組中荒井村・橋詰村の中荒井組・橋詰組の組みがえ行わる。
一六七四 延宝 二年 宮の下八幡宮の修補棟札あり。
一六七五 延宝 三年 下小松に小松稲荷を祭る。両堂の西光寺、この頃までに廃寺になっている。
〃     〃 鷺林八王寺神社勧請。
一六七八 延宝 六年 真渡西光寺の像にこの年の銘がある。


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