北会津村誌 -520/534page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

一六八〇 延宝 八年 下荒井蓮華寺西裏の大五輪の古いのにこの年の銘がある。
一六八一 天和 元年 大川大洪水で荒れる。
一六八三 天和 三年 上米塚新田の開拓者四代小池義利の代に洪水で村が流失、三年計画で再興に当る。
高田の田中家郷頭になる。
〃     〃 中荒井堰開かれる。(上米塚にて)
一六八五 貞享 二年 中荒井村風俗帳の書上げあり。田中郷頭のこの年の記録に「郷頭勤方の事」その他あり。
一六八九 元禄 二年 和泉の諏訪神社古く信濃国本宮より勧請、この年、この地に鎮産。
一六九五 元禄 八年 この年まで大沼郡とある。ようやく会津郡となる。
一六九八 元禄十二年 七月二十七日大川大氾濫
一七〇四〜一〇 宝永の頃 真渡輝井明神の別当滝本院司るとみえる。
一七一六〜三五 享保の頃 この頃まで今和泉館跡に関出雲守の子孫、総左ヱ門住むという。
一七三六 元文 元年 軽井沢銀山休み、下荒井の宿場さびれる。
一七四一 寛保 元年 出尻地蔵尊にこの年の銘あり。
一七四三 寛保 三年 この年田村山養泉院が観音の来由を彫った版木がある。
一七五六 宝歴 六年 江川太郎左ヱ門が切支丹類族を書上げた記録あり。
一七六五 明和 二年 田村山観音堂建立の棟札あり。
一七六六 明和 三年 館の観音を水戸の漆細工が塗りかえる。
一七八一〜八八 天明 中 田村山古墳灰塚から出土品あり。
一七八八 天明 八年 代官職を置く。高田代官所が定められ、郡署をおき高田は中荒井奉行配下となる。


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は福島県北会津村誌編纂委員会に帰属します。
福島県北会津村誌編纂委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。