北会津村誌 -521/534page

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一七八九 寛政 元年 下荒井観音堂に観音堂建立の棟札あり。
一七九〇 寛政 二年 下米塚新田を開く、本田新田水災にあって、現在の位置に移る。
一七九三 寛政 五年 下荒井宝寿院の僧、白山清水辺に宝寿という開墾部落をつくる。
一七九六 元禄 九年 六月二十八日湯川、大川洪水。
一八〇四 文化 元年 鷺林用水を岩崎堰より引入れることを願出る。
一八〇七 文化 四年 中荒井村風俗帳書上げ。
一八〇九 文化 六年 新編会津風土記完成、幕府へ献上。
一八一〇 文化 七年 郡奉行所を廃し、郡役所と改め、代官派出される。
一八一九 文政 二年 真渡西光寺に、この年の綸旨がある。
一八二〇 文政 三年 高田駅に検断が置かれる。
一八二二 文政 五年 二日町牧原家、会津藩家中より移る。
一八二七 文政 十年 真渡西光寺に、同年付の祈願書あり。
一八三七 天保 八年 間引き防止のため「子孫繁昌手引草」を各村へ配布する。
一八四一 天保十二年 住居制限倹約箇条書配布される。
一八四五 弘化 二年 小松獅子舞阿部大和守、石河但馬より、下小松覚法院宛免許あり。
一八四六 弘化 三年 小出の宝光院再建、鷺林部落長岩崎堰開さく願出る。
一八四九 嘉永 二年 奉公人のしきせ(四季施)の達しを出す。
一八六三 文久 三年 下小松稲荷天官正一位を授けられる。
一八六八 慶応 四年 明治元年になる。若松城落ちる。やあやあ騒動起る。


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