わたしたちのふるさと 金山町-039/104page
明治20年代から大正時代
明治22年に新しい町村制になり、5つの村が誕生しました。沼田街道(今の国道252号線)が柳津町から只見町までなおされ開通しましたが、岩場が多くたいへんな工事でした。この工事によって人々の行き来や荷物の運搬が楽になりました。
荷物運搬のようす大正7年
少しずつ世の中がかわってきても、冷害や大洪水にみまわれると作物がとれず、人々の毎日のくらしはまずしいものでした。
〈お年寄りのお話〉
もどもど田がすぐなぐ米がとれながつた。米だけのまんまなど食ったごとねがった。あわやひえ、かんぶら、だいこん、干し菜っぱを入れた「かで飯」ばっかだった。