わたしたちのふるさと 金山町-077/104page
9 郷土をひらく
◇先人の努力
昔、郷土をひらくために努力した人がいます。平岡文次郎は、会津と越後(今の新潟県)をむすぶ交通路の一つ、八十里越の道の改修に努力し、関藤右衛門は、宮崎村より津川(今の新潟県の一部)につながる大山越の道や新田の開発に努力しました。
また、掬いきの人々が協力して郷土をひらくために努力したこともあります。
会津地方から沼田(今の群馬県)につながる沼田街道は、当時の人々にとって米や塩を運ぶたいせつな道だったのですが、危険な場所が多い道でした。とくに、西谷あたりは岩が多く、近くの村の人々で毎年修理をつづける努力をしました。今の大志や中川(宮崎、板下)には、田にできる土地はあったのですが、水が引けませんでした。田に水が流れてくるようになったのも、そこに住む人々の長い間の努力のおかげなのです。
ここでは、大志・宮崎・板下の人々が努力した木冷ぜきと関藤右衛門が努力した大塩の新田開発について、紹介します。