わたしたちのふるさと 金山町-082/104page
1825年、向こう側でたたく金づちの音がかすかにきこえました。人々のしごとにも熱が入ってきました。ところが、この夏、雷をともなう大雨があり、洞門の一部がこわれてしまいました。
1826年には、洞門の入口がとてもくずれやすいので、もっと上流の方からほり直すことにしました。しかし、役所からお金を出してもらうのもかぎりがありました。人々は、お寺の林まで売って工事のお金をつくりました。
1829年、大石・宮崎・板下の村の農民の長く苦しい9年間の努力で、ついに洞門は完成しました。木冷沢の豊かな水は、1276メートルという長い上野原の地底をくぐって三つの村の田に流れることになったのです。
洞門ができるまで
○1710 ●木冷ぜきができる。
○1820 ●大雨や大風でこわれる。
○1821.6 ●洞門をほる工事がゆるされて、秋から工事が始まる。
○1821.11 ●沼沢火山の活動による大地しんがおこり、洞門がこわれる。
○1823 ●ふたたび工事を始める。
○1825 ●向こうがわの音が聞こえるが、雷や雨のため一部がこわれる。
○1826 ●入口がこわれる。
○1829 ●洞門が完成する。