わたしたちのふるさと 金山町-086/104page
(3)大塩せきができるまで
御蔵入郡奉行として、関藤右衛門がやってきました。御蔵入とよばれるのは、田島を中心とする南会津、金山、三島、昭和です。郡奉行である関藤右衛門は、村をみまわって調べたところ、どうしても大塩に水路をつくらなければならないと思いました。
計画
1521年 水路工事が始まる
1659年 関藤右衛門御蔵入郡奉行として着任
1659年 領地内を巡視農民の生活、農地の様子を調査
1664年 奉行関藤右衛門指揮のもと、堰の工事に着工
1668年 1,5kmのトンネルが完成
大塩堰の取入口(トンネル)
記念ひをかこんで
工事
村の人手による工事が始まりました。現在の取水口より上流600m地点に洞門、そこから山ぎわに沿って水路を掘るにも、当時の道具は、ノミ、モッコなどを使った手作業による工事でした。
取入口
入口だけトンネルになっている。
今はダムのわきからとりいれている。
トンネルの工夫
とちゅうに穴があいています。仕事、つもった石やじゃりを運び出すときも仕事をやりやすくしてあります。
山の斜面を使って、うまくくりぬいています。坂も、思ったよりも、流れやすくなっています。