関連単元名:二つの戦争と人々の暮らし
展示コーナー:f:近代化のあゆみ
資料名:磐城無線電信局原町送信所の開局送信塔
磐城無線電信局の開局磐城無線電信局は富岡受信所(双葉郡富岡町)と原町送信所を併せていう。富岡受信所は大正9年(1920)、翌10年(1921)原町に送信所を開所した。大正7年(1918)から逓信省によって建設計画が進められ、原町では無線局の誘致を行い、建設用地を寄付することで建設にいたる。地盤が堅固でアンテナを張るのに都合の良い先導性の高い土地で、地下水位が高いということで、当時日本から外国に無線通信できる対外国通信を目的とする当時東洋一の規模を誇るコンクリートの自立塔として建設されたものである。
富岡受信所
無線塔と副塔
関東大震災での活躍
日本を震憾させた関東大震災は大正12年(1923)9月1日におこる。その災害を全世界に知らせたのは、原町の無線塔からである。首都圏の通信機構が壊滅状態にあった時、横浜港沖にいた船からの通信を富岡受信所において受け、その報をアメリカに向け発信した。それから、日本救済が全世界レベルで行われ日本の復興が始まった。当時の局長・米村嘉一郎はその功績を認められアメリカから表彰されている。
原町送信所
○相馬郡原町桜井字原畑(東経mo度59分10秒:北緯37度37分59秒) ○敷地2,445坪 ○主要建設費35万円 ○主要鉄筋450トン ○必要電力450キロワット ○料金サンフランシスコまで一語につき1円38銭ニューヨークまで一語につき1円60銭 ○常用速度1分間約60語(約300文字)最大速度1分間約100語(約500文字)