大熊町民話シリーズ第1号 民話 苦麻川-009/055page
す。
山を鹿(しか)が峯(みね)と呼び、崖(がけ)の下の川のほとりに古びた小さな祠(ほこら)がたっています。祭神は保食大神、宇加之魂命の二柱とも、平将門(たいらのまさかど)を併祀しているともいわれ、古くから馬の神様として祭日には、近郷近在の馬が集って、驚く程の人馬でにぎわいました。土地の人々は代々つぎのように語りついできました。
むかし、「相馬のお殿様(とのさま)のご先祖にあたる平将門(たいらのまさかど)という人が、俵藤太秀郷(たわらのとうたひでさと)という人らに亡ぼされたとき、三女の滝夜叉姫(たきやしゃひめ)は、父の仇を討とうと心魂(しんこん)を傾けたが、とうとう果すことができずに、巡礼の姿となって父の像を背負(せお)い奥州に下り、いわきの玉山にある恵日寺という寺(てら)のそばに庵(いほり)を結んで一生を終ったが、この像が巡礼観音とか、飛付観音とかいわれ、子孫のお殿様がこの地方に移ったので、こちらに来たなそうだよ。」
またこのようにも云っています。
「むかし、野山が若葉に包まれ、山桜が咲ききそう春の日の午後(ひるさがり)のこと。突然あたりが金色の光に輝やいたので、みんながびっくりして地べたにひれ伏したが、この時お空(そら)に馬のいななきや、くつわの音がしたので恐(おそ)る恐る空を見上げたところ、金色の馬にまたがった観音菩薩様が、紫の手綱(たづな)を絞(しぼ)って空がける姿をおがんで再び地にふれ伏したが、鹿が峯に飛びついたと見るまに、かき消すように姿がきえてしまったので行ってみると、崖(がけ)にくっきりと馬の蹄(ひづめ)の跡がのこっていと