第2次福島県長期総合教育計画(昭和53年度〜昭和60年度)-039/285page
て14,564人であったものが,「へき
地教育振興法施行規則の一部改
正」(昭47)により昭和48年度
に一時増加し,昭和51年度には,
6,987人となり,この10年間に
7,577人の減となっている(表2
−2−1)。
表2−2−1 へき地(1級から5級)の児童数(単位:人)
区分/年度 41 42 45 46 50 51 1 級 12,154 11,748 9,434 8,550 7,516 6,275 2 級 1,371 1,276 866 767 851 531 3 級 726 687 479 439 425 181 4 級 291 272 233 217 126 0 5 級 22 18 9 9 9 0 計 14,564 14,001 11,021 9,982 8,927 6,987 注:「学校統計要覧」(昭41,昭42,昭45,昭46,昭50,昭51)に
よる。
また,級別に児童数の減少状況
を昭和42年度,昭和46年度,昭和
51年度における前年度児童数に対
する減少児童数の割合の比較から
みると,各級とも昭和42年度から昭和46年度においては,緩慢な減少傾向を示している。
しかし,昭和46年度から昭和51年度においては,各級とも減少傾向が急速になり,しかも,そ
の程度はそれぞれの級に応じたものとなっている(図2−2−4)。
従って,今後は,へき地(農山村部)の特性を生かしながら,教育諸条件の整備については最
大の努力を払い,教育機会の均等の立場からの条件整備を図る必要があろう。
図2−2−4 へき地における前年度児童数
に対する減少児童数の割合
注:n年度の割合は,{(n−1年度の児童数)−(n
年度の児童数)}÷(n−1年度の児童数)×100に
よる。
(4) 学校配置
学校の配置状況を昭和41年度から昭和51年度
までの学校数推移からみると,本校は昭和41年
度に580校であったものが,昭和51年度に571
校となり,年平均0.9校の減少を示している。
また,分校は昭和41年度に218校であったも
のが,昭和51年度に125校となり,この10年間
に93校の大幅な減少を示している(図2−2−
5)。
学校の廃止,設置状況を,昭和42年度から昭
和51年度までの廃止学校数及び設置学校数の推
移からみると,廃止学校数は昭和44年度におい
て本校5校,分校18校で最高となり,以後漸減
の傾向を示し,昭和51年度においては本校1校,
分校10校となっている(表2−2−2)。
それは,分校の本校への吸収,近接小学校の
中心校への統合等によるものである(「学校統計
要覧」(昭42〜昭51))。
一方,設置状況は,昭和42年度から昭和51年度までにおいて,統合が10校,分離が3校,昇格
が1校,新設が本校10,分校3校となっている。
小学校の本校新設は,県中地域の郡山市が最も多く6校となっており,次が県北地域の福島市