サクシード2中学校国語から高等学校国語へ-012/81page

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? 疑問をもつ
 一「パパラギ」から一
  「パパラギ」一サモア語で、空を破って現れた人一

●自明なことを疑う
 私たちが普段自明なことであるとしていることも、実は先入観や既存の知識からそう思いこんでいる場合があり
ます。日常の生活を他の価値観によって見ることにより、現在の生活に対して、根本的な疑問を投げかけることができます。例えば、次のような作品があります。

パパラギは、丸い金属と重たい紙が好きだ。死んだくだものの汁や、豚や牛、そのほか怖ろしい獣の肉を腹に入れるのが好きだ。だが、とりわけ好きなのは、手では決してつかめないが、それでもそこにあるもの一時間である。パパラギは時間について大さわぎするし、愚にもっかないおしゃべりもする。といって、日が出て日が沈み、それ以上の時間は絶対にあるはずはないのだが、パパラギはそれでは決して満足しない。
 パパラギは、いつも時間に不満足だから、大いなる心に向かって不平を言う。
「どうしてもっと時間をくれないのです」
 そう、彼は日々の新しい一日を、がっちり決めた計画で小さく分けて粉々にすることで、神と神の大きな知恵をけがしてしまう。柔らかいヤシの実をナタでみじんに切るのとまったく同じように、彼は一日を切り刻む。切り刻まれた部分には、名前がついている。秒、分、時。秒は分よりも短く、分は時より短い。すべてが集まって時間になる。分が六十と、それよりずっとたくさんの秒が集まって'時間になる。
 このことはとてもこんがらがっていて、私にはまったくわけがわからなかった。だいいち、こんな子どもっぽいことに必要以上頭を使うのは、ただ不愉快になるだけだったし。ところがパパラギは、そ.」から大きな知識を取り出している。男も女も、まだ足の立ちそうにもない子どもまで、平たく丸い小さな機械を身につけている。太い金属製の鎖に結び、首にかけるか、手首に革ひもでしばりつけるかして。この機械で時間が読み取れる。読み取り方はむずかしい。子どもは、その気になるように機械を耳に押し当てられ、時間の読み方を練習させられる。
 こうした機械は、伸ばした二本の指の上にのせて軽く運べるほどのものだが、その腹の中は、おまえ

自明なことを疑う

●コギト エルゴ スム
 哲学者は様々な問いかけから始めて、自分の哲学を作り上げていっています。そういう意味で哲学者は「問い」の天才ともいえます。
 フランスの哲学者デカルトが、「方法叙説」の中で、疑っても疑っても疑いきれないものが考える自分の存在だと思い至ったように、疑うことは考えることのスタートだといえるのです。
 国文学者の小森陽一氏は、高校時代の授業で漱石の「心」を読んだ折に抱いた疑問、つまり、「私」は列車に乗ったあと何をしに奥さんのもとに行くのかを問い続け、漱石作品の解釈を深めています。
こうした例は他にも多くあります。いずれにせよ、疑問を疑問として持ち続けることができるような授業が、生徒の考える力を育てるのです。

※コギト エルゴ スム(cogito,erugo sum ラテン語)
デカルトが「方法叙説」でのべた言葉。「われ思う、ゆえにわれあり」の意で、彼はあらゆることを懐疑したあげく、意識の内容は疑いえても、意識するわれの存在は疑いえないという結論に到達し、これを第一原理とし、確実な認識の出発点とした。(「広辞苑」)

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