教育福島0002号(1975年(S50)06月)-025page
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となぜ〜」3)を、技能面、思考作用態度面の学習訓練の場と考え、生徒の直接参加によって学習させた。この結果その後の学習に自分の考えを持って参加できた。気体として見がちな煙を、種々の実験で固体としての見方がとれる資料収集が行われたのも一例である。
(四) 反省として
教科書のいくつかの教材を精選したことで、質量保存則等の物質概念の理解度を心配したが、結果としてよく理解されていて、学習が楽しくできたという利点を得た。
化学変化を巨視的な見方でとらえ、法則を帰納的に理解させるための「物質の変化と質量」が、微視的な見方をとる「原子のモデル」等の基礎となるだけに、もう少し時間をかけてもよかったと反省している。
(五) 今後の進め方や課題
精選に当たっては、理科の目標、基本的科学概念・基礎概念を踏まえねばならないが、このレベルでの精選は、個人研究では容易なことではない。この地域の生徒の教育に携わっている者として、課題をどういう形で与えれば知的好奇心の高まりが期待できるか、更に、学習への直接参加ができるかという観点を踏まえ、精選に力を入れて行きたい。
また、教材精選の必要性が叫ばれればそれだけ、思考作用の重要性があげられる。この意味からも、思考作用の訓練の場をとらえて指導に当たりたい、
(教諭 吉岡栄一)
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理科の授業風景
三、考察
教材の精選ということが言われてからすでに久しくなるが、どこから精選すればよいのか、どのようにすれば精選できるかという点では、さまざまな考え方がある。しかし、教師の間では教材の扱い方の比重をどこにかけるかという観点でとらえていることが多いのではないかと思われる。このことはややもすると、子供の思考過程や学習活動への配慮がないがしろにされがちである。
教材精選を子供側に立って、実態に即した精選を考えることは、究極的には構造化に結びつくものではないだろうか。
実践例にも見られるように、子供の実態を基盤において精選を考えることが大切であり、このレベルでの精選の主体者は、教育の実践者である教師以外にはあり得ない。指導要領に示される内容が改訂されても、教師によって単元及び一単位時間の指導計画の立案がなされるのであるから、教材の精選という問題は解決してしまうのではなく、今後も精選は続けて行かなくてはならないと考える。
音楽科
一、教材精選の必要性
毎日の音楽指導で、身近にある教材といえば、まず、教科書に掲載されている楽曲をあげることができる。
それらは、おびただしい楽曲の中から、学年の系統性や発展性、それに児童・生徒の興味関心などを考慮して選択され配列されたものである。
ただ、教科書の性格上、全国的な視野から編集されるので、必ずしも個々の学校の実情に適合した教材集とは言いきれないのが現状である。
たとえば、月別に配当された教材すべてを学習させようとする考えに立てば、どうしても進度意識が先行し、指導内容の重点化はおろか、いかにして教材を消化するかといった心配に追い回され、児童・生徒が音楽の美しさにひたりきれないうちに次に移るといった授業になりかねないおそれがある。
そこで、どうしても児童・生徒一人一人を細かに見つめたうえで、教材による指導内容の重点を決め、更に教材間の内容の関連や系統を吟味し、扱い方の工夫まで試みることが必要になって来る。
つまり、現にある指導計画と教科書を照合しながら、音楽の何を感じ取らせ、何を理解させるためにその教材を用いるのかという極めて素朴なことをもう一度考え直し、児童・生徒の学習に価値のある教材を重点的に抑えて指導する必要があるということである。
二、教材精選の観点
音楽科における教材の精選とは、量的な削減のみではなく、教材の圧縮でもない。むしろ質的な意味が多いことに着目しなければならない。従って、厳選して用意された教材になんでもつめこんでしまうという考え方は排除されるべきであろう。
しかも、楽譜のままの状態では教材とは言いがたく、実音となって児童・生徒の感覚を刺激し、関心を呼び起こしたときに、初めて生きた教材となり得る。だから、教材を選定する場合には、できるだけ実音化してみる必要があり、この過程で何を感じさせ、何を
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