教育福島0002号(1975年(S50)06月)-034page
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教育随想
ふれあい
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トランペットとともに
大越智恵子
へき地校に赴任してから、早や三年目の春がめぐって来た。
三年前、私を待っていたのは、四年生十二名、五年生六名の変則複式学級の子供たちであった。赤いほおを輝かせ、人なつこく、素直で、友達どうし仲が良く、汗を流すまで飛び回るばかりか、掃除なども、助け合いながら実によく働く。
そうかと思うと、人前に出てあらたまって話をしたり、返事をする段になると、とたんに変身してしまうのである。口を閉じ、心を閉ざし、もじもじしている姿からは、運動場での子供を相像することはできない。
十八名の子供との出会いは、ここから始まった。まず、なによりも自信を持たせなければならないと考え、閉じがちな心のとびらを大きく開かせるために、大きな声を出させることにした。朝と帰りの会には、必ず「好きな歌」「季節の歌」を大きな声で歌わせることから始めた。しかしあらたまって、みんなそろって歌うことが恥ずかしいのである。私と子供たちの根比べが続いた。子供たちの閉ざされた心は、なかなか開こうとはしなかった。
そんなある日、ある人から、トランペットとエレクトーンが学校へ贈られて来た。チャンス到来。私は内心飛び上がらんばかりに喜んだ。子供たちに自信を植えつけ、心を開かせるには、絶好の機会である。早速取り組んだ。胸を張って堂々と吹き鳴らす姿を心に描き、練習が始まった。
しかし、すぐに大きな厚い壁に突き当たってしまった。町の子供との差の大きいことを痛いほど知らされた。音楽的な感覚、基礎学力、基礎技能、そしてなによりも欠けていたのは、物事をやり遂げようとする根生のないことである。練習が進むにつれて、身体的条件の違いなど、いくつかの障害を、子供たちとともに悩み、苦しみながら乗り越えなければならなかった。いつ果てるとも知れない苦しい日の連続に子供も私も疲れ切ってしまい、私の心の隅には、あきらめさえ頭を出し始めていた。
突然ある日、遂に音階が吹けるようになったのである。そのときの喜びの顔が間もなく、「きらきら星」が吹けるようになったときの得意げな顔に成長するまで、子供の態度にも変化が起こった。練習は積極的になり、一段と真剣さが加わり、毎日おそくまで練習する子供たちには、あの不安げな姿は見られず、自信と意欲に満ちた姿に変ぼうしていたのである。
レパートリーも多くなった。四年生五年生十八名は、それぞれ五年生、六年生になった。練習にも磨きがかかって来た。町の文化祭の鼓笛隊パレードに出て行くまでになった。町の大規模校と肩をならべての出場である。出場者は十八名全員。トランペット鼓笛隊はわが校のみである。全員胸を張る。パレードが始まる。パレードの先頭を切って行進する。拍手が起こる。拍手のうずの中に、十八名の顔が、今みごとに花咲いたのである。私の目頭が熱くなった。とめどなくあふれる涙の中に、十八名の姿が虹のように広がった。
六年生六名は、五年生の高らかに吹き鳴らすトランペットのファンファーレに送られ、町の統合中学校へ元気に巣立って行った。
今、私の前には、新六年生十二名の二十四の瞳が輝いている。
(大沼郡会津高田町立東尾岐小学校教諭)
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