教育福島0003号(1975年(S50)07月)-028page
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教育随想
ふれあい
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一年生との出会い
佐藤光枝
入学式の朝のことを今でも忘れることができません。新しい一年生、新しい父兄…身も心も新たにし、白紙になにかを描くような気分はなんと表現したらいいでしょうか。母親と手をつないで入って来る一年生を見て思わず「おはよう。早いのね、今日はお母さんといっしょね。あなたの名前は何と言うの…。」と声をかけてみました。子供の顔があまりにも緊張していたからです。いや、自分自身の不安な気持ちを少しでも取り除きたかったからかもしれません。一年生担任の経験は三度目ですが、経験すればするほど指導の難しさ、重大さが身にしみ、責任を感じ、じっとしていられなくなるのです。なんといっても、子供たちの目の新鮮さ、うそや隠しへだてのない純真さ…こんな美しいものがあるだろうかと思うと、ますますファイトがわき、疲れも忘れてしまいます。
「教師は子供を選べない。子供は教師を選べない。」と言われますが、子供たちに好かれる先生にならなければ、と何度か誓いました。
父兄の前では「お子さんの指導につきましては、お任せください。今日から責任を持ってお預かり致します。−」など大変えらそうなことを言ってはみたものの、内心は心配でした。
入学式が終わり、第二日目の朝です。私は、子供たちにこんなことを話しました。
「みなさんは七ひきの子やぎというお話を知っていますか。−そうね、やぎのおかあさんには七ひきの子供がいましたね。先生には三十二人の子供がいます。さあ、だれでしょうか。」と話しかけると、子供たちは、がやがや騒ぎだしました。「先生、ほんとうに三十二人も子供がいるの。うそでしょう。」「ほんとうよ、先生はみなさんのおかあさんです。この教室には三十二人の子供がいるでしょう。今日からみなさんは先生の子供です。困ったことや、わからないことは、なんでも聞いてね。先生もわからないことはみなさんに聞きますよ、はっきりと話してね。」とあいさつをしました。子供たちは私の顔をじっと見つめ、だまってうなずいたのです。「よかった、これで一歩近づけた。」とうれしくなりました。そして「みなさん、右手をぐーんと出してごらん。先生の右手とみなさんの三十二人の右手で大きく握手しようね。仲よしになったしるしですよ。」子供たちは緊張した顔を次第にほころばせ、一人一人手を伸ばし、ぎっしりと握手をしました。その手の暖かさ、目の輝き、を忘れることができません。
スタートしたときから、一人一人の能力や生活経験に、差があるのは当然のことながら、ややもするといっせいに指導しがちな教師、そしてできなければしかったり、むりに教えたりする教師…私もそうでした。そこで一人一人の子供が、能力を十分に発揮できるようにするには、まず、子供の実態を知ることから始めなければ、と思いました。その一方法として毎日、日記を書かせることにしました。みんなの前で話すことのできない子は、.この日記を通して話す喜びを知ったのです。友達とけんかをしてだれにも言えないことをそっと教えてくれたり、あやまちをしてすなおにあやまれず悩んでいることを打ち明けてくれたりして、少しでも先生に近づきたい、先生に知って欲しい、と努力する姿が、いじらしく思われました。一方私は子供たちの日記から一人一人の良さをほめ、問題点は学級会や道徳の時間で取り上げ納得のいくまで話し合わせることに力を入れました。こんなことを繰り返しているうちに、今まであまりにも無関心だった子供を生き生きとさせ美しいものを美しいと気づかせ、進んで問題を解決しようとする子供を育てるのに役立ったのではないか、と思っています。
三月のある日のこと、教室で仕事をしていると、「先生、ねこやなぎが咲いたよ。先生、つくしんぼも出ていたよ。」と駆け足で入って来ました。なにか重大なことを発見したかのように、息をはずませて走って来る子供。手にはねこやなぎとつくしんぼをしっかりと握っていました。忙しさに振り回され、春の訪れも忘れかけていた私に、春の便りを告げてくれたのである。仕事の手を休め「もう、春になったか、早いなあ。」とひとりごとを言い、ふと一年前の入学式の日を思い出しました。
(福島市立笹谷小学校教諭)
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