教育福島0005号(1975年(S50)09月)-007page

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おいて、生徒に修得させる学力は、高校卒業後に、大学での学習において、また社会に出ては、職務の遂行において、それらの基礎となる知識技能及び思考学習の態度でなければならない。

教師が専門職であるという意味は、生徒に、このような学力をつける方法を、熟知しているということであろう、

自分の専門である教科科目についていかに力があっても、高校教師よりも優れた学識を持つ人々も多くいる。したがって、知識技能を身につけているだけでは、(もちろん、これは、高校教師の重要な資格の一つではあるが)、専門職の名に値しないのではあるまいか。

生がいにわたって生徒が直面するであろう様々な場面において、いわゆる転移させることのできる基礎的な学力は、教師側からの知識伝達だけでは育たない。生徒が学ぶことの意味を自覚し、自発的に学習に取り組む姿勢を持たなければ、真の学力を身につけることは不可能であろう。

生がい教育が十分に行われるには、学習者に自ら学ぶ意欲が必要であり、適切な動機づけによって、自主的に学習を続ける態度を育成するのが、学校教育に課せられた大きな課題である。

しかしながら、高校において日々実践されている授業の中で、自ら学ぶ意欲を生徒に持たせる努力が続けられているが、今後各学校における一層の精進が更に期待されるところである。

 

三、魅力ある学校

 

学習に興味を失って非行に走る生徒が増加しているのは、学校が生徒にとって魅力を失っているのも一因であろう。学校に魅力を取りもどすためには教師と生徒との間に信頼関係を確立しなければならない。生徒に信頼される教師によって実施される授業は、たとえ、欠点を持つ未熟なものであっても生徒を引きつけることができるであろう。

調査によると高校生の相談相手として、教師が上位を占めないのは、生徒が、教師には期待にこたえるものがないと判断するからであろうが、教師から生徒への働きかけが不十分な場合もあろう。更に、生徒が教師に魅力を持たない原因は、両者の人格個性の違いいによることも多いが、社会の変化に鋭敏に反応する青年の心情を理解するだけの柔軟性が、教師に欠けていることも考えられよう。

自分の専門教科を教えるのに必要な知識技能を、ひととおりマスターした後は、同じ授業の繰り返しで、マンネリズムに陥ってしまう教師に、生徒は魅力を失い、何も求めなくなるであろう。

大学進学を希望する生徒を教える場合は、生徒が大学入試という強力な外的動機づけを持っているがゆえに、一方、学力の低い生徒を教える場合には指導内容方法について生徒からの質問や批判がないために、授業改善の意欲が減退するおそれが潜んでいるように思われる。

生徒が信頼するのは、専門教科について優れた学力を持つことは当然のことながら、生徒の生活意識や学習心理を十分には握して、経験の多少にかかわらず授業の改善に努力する教師であろう。その熱意が、指導法の未熟さを補って余りあり、生徒の心をとらえ、一人一人の生徒が、教師によって意識されていると自覚するふんい気の中で好ましい人間関係は醸成されるのである。

非行に走る生徒の指導に、教師集団の精力の大部分を費やす現実のあることも認めなければならない。しかし、授業を改善することが、結局は、最善の策であることを認識し、毎日登校して授業に出ることのおもしろさを、生徒の心に植え付けるよう努力したいものである。

教育は、人間が人間に働きかける活動であるにもかかわらず、学校における人間関係の回復とか、学校の人間化とか、言われるのは、余りにも、教えるものと学ぶものとの関係が冷えたものとなり、その有機的な営みが、円滑に行われなくなったことを示すものであろう。

教師と生徒との関係に生じた断絶を回復し、生徒が、教師を権威者としてばかりでなく、喜怒哀楽をともに分かち合い、人生の先輩として尊敬し、頼りにすることができるならば、学校は再び生徒にとって魅力のある生活の場となるであろう。その基本的条件は、専門教科科目についての学識と絶えざる研修は当然のこととして、深い洞察に満ちた生徒理解が必要である。

 

四、生徒理解

 

生徒理解の重要性は、周知のことであり、改めて言うまでのこともない。しかし、生徒理解は、生活指導上の問題であって、教科指導では、教科の内容や指導法に論議が集中し、さほど重要視されなかったように思われる。

生徒が、学校で最も多くの時間を費やすのは教室であり、また、その時間の大部分は教科学習に当てられるのであるから、教科指導が効果的に行われなければ、他の教育活動も充実しないはずである。

教科指導において、生徒に充実感を与えることができずに、クラブ指導において、生徒に密着した指導をしても学校全体の教育活動から見て、好ましいこととは言えないであろう。

既に述べたように、高校における指導上の問題の中では、学業不振生徒のもたらす諸問題が最も多い。毎日の授業に興味を持たず、学校で過ごす大部分の時間が苦痛に満ち、学校を離れて解放感にひたり非行に走るのではあるまいか。

生徒を引きつける授業をするためには、指導内容の精選、指導技術の改善

 

 

 


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