教育福島0005号(1975年(S50)09月)-009page

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やさしい内容の科目を選択することが、生徒の学力を高める上で必要であり、そのほうが、将来の学習に有益であると判断するか、逆に、心理的な負い目を生徒に持たせることになり、効果的でないと判断するかは、教師個人の教育観によって、必ずしも一致しないことがあろうが、教師の個人的な判断によって、生徒の学習の様態が決定されるのは望ましいことではない。

指導内容の決定に当たって、学校という複数の教師集団によって構成されている教育の場では、個人の好みによる教育内容の取捨選択は、慎まなければならないであろう。

 

六、指導法の研究

 

教師という職業は、仕事に対する評価や批判を、直接に具体的に受けることがない。教室で生徒の前に立てば、外部からの、すなわち、第三者からの観察批判を受けることがなく、自己の信念のままに授業を続けることができる。もちろん、生徒の目はするどく、教師の仕事の成果は、生徒の目を通して、絶えず批判されていると言うことはできるであろう。しかし、他の社会におけるように、客観的に、第三者によって、事の成否を即座に問われる性質のものではない。・このために、毎日の教育実践が、妥協に流れ、時として充実感を欠くおそれのあることを、十分に注意しなければならない。

指導法の改善についても、極端に言えば、研究や工夫を全くせずにすますこともできるであろう。しかし、学校を生徒にとって魅力ある場所にするには、授業の改善を図ることが、欠くことのできない条件であって、指導法についての研究を無視した授業の展開はますます、生徒に与える魅力を失ってしまうであろう。

高校における学習指導法のあり方は生徒の多様化に応じて、改善されるべきであって、徐々にこれらの方向に研究が進められているのは、心強いことである。

指導法の研究に当たり、最初に考慮すべきことは、教師の個人による努力研究も貴重であるが、教師集団による研究体制の確立である。現代は、有能な個人の発揮する力量によって、解決できる分野がないとは言えないが、人間集団としてのチームワークによる実践研究の果たす役割は大きい。協力し合って、目標の達成に努力する中から教師相互の信頼感も生まれ、それが、生徒との間にも、望ましい関係を作り出す要因となるであろう。

指導法には、絶対的なものはない。学習指導要領においても、指導法については、なんの基準も示していない。指導法は、常に研究改善されるべきであり、生徒の変化とともに変わるべきものである。高校における授業の改善は、まずこの点の認識が基本とならなければならない。

高校教師の専門性が問われるのは、専門教科についての学力と同時に、指導技術について、確立した理論と実践の裏付けを持つか否かに関してである。学習、心理学の歴史的発展から、現状の分析に至るまで、一応の知識を身につけ、その上に実践を積み重ねなければならない。

 

七、中学校教育の理解

 

教科によって多少の違いはあっても高校教育が、中学校教育の基礎の上に立っているのは当然である。

中学校教育について理解を深め、中学校の教師と協力し合って、生徒の学力向上に努力しようとする試みが、最近の研究会等における話題の一つになっているのは喜ばしいことである。

中学校における学習の状況を理解しなければ、生徒の実態は握も、高校教師の一方的判断になり、中等教育の一貫性から見たとき、適切なものとはなり得ない。小学校、中学校を通しての教育内容を正しく認識することから、高校教育の適切な展開が可能になる。中学校教育の実態を知らずに、高校の授業が始まるために、生徒は戸惑いを感じ、高校入学当初に、既に学習意欲を失ってしまう例も少なくない。

生徒の個人的な能力、性格の違いもあろうけれども、高校教師の中学校の学習に対する理解不足から生徒に与える違和感は、決して小さなものではない。

中学校の学習が十分でないから、高校の授業に支障があるというのは、学習の目標達成に示される個人差を無視した言い方である。学習指導の面で、中学校教師が抱えている困難を、そのまま高校教師は引き継いでいかなければならないのである。

 

八、おわりに

 

前述の諸問題については、昭和四十八年度から継続的に全県的に研究が進められている教育課程研究集会や各種の教科研究会において実践報告が行われ、各高等学校においてもそれらの成果が取入れられ研究が進みつつある。

以上のような、様々な困難を抱えながらも、人間教育の場として、高校教育が何をしてゆけばよいのかを、常に考え、毎日の教育活動の中で、授業が惰性で行われることのないよう研究を怠らず、生徒に積極的に働きかけることによって、彼等の心情をくみ取り、授業を通して、人間どうしの話し合いができるように信頼感を高め、明るい未来に対する展望を失うことなく、ほんとうの教育の営みを追究、実践しつつ、前進を続けたいと願うものである。

以下各教科、科目で行われた昭和五十年度教育課程研究集会の実践的報告や討議を中心に、「学習指導の改善」について述べた。

 

(福島県教育庁高校教育課主幹)

 

 

 


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