教育福島0005号(1975年(S50)09月)-011page

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は一人称の視点、つまり、「私の目」によって見られ、「私」の主観によって意味づけられたものとして描かれる。〈二等列車〉とあるので、「私」は、少し、身分・富がある人らしい。〈隅に腰をおろし〉からは、人前に出るのを避けている、どこか孤独な感じの「私」のイメージが思い浮かべられる。また、〈ぼんやり〉には、いかにも、

ものうい感じの「私」が見える。

3)〈とうに電燈のついた〉からずっと前から待っている「私」がわかる。〈珍らしく〉とあるので、「私」は、この列車をよく利用するらしい。

4)〈見送りの人影さえ跡を絶つている〉〈うす暗いプラットフオーム〉は、いかにも、もの寂しく心細い。

5)〈じっと両手をつっこんだまま〉からは、心の中で、何かを思い出したくないと、じっと耐えているような姿がイメージされる。

右の読みの中から、疲労とけん怠の「私」のイメージが強固なものになってゆく。(以下省略)

 

四、イメージ読みとその留意点

 

次の文章は〈菜の花や小学校のひるげどき〉という俳句の鑑賞文である。〈校庭の花壇一面には菜の花が咲いていた。ちょうど、午前中の授業が終わったのであろう。小学生たちの給食をはこぶ姿が目にうつった。あのぴちぴちした動きは、この校庭の花壇に咲いた菜の花のようであった〉

この鑑賞文には、イメージ化の上でのいくつかの問題点がある。そのもっとも典型的なものは、〈花壇に咲く菜の花〉のイメージである。それは、菜の花ののどかさを無視したことの結果であろう。

このようなことは、現実の学習ではよく起こる現象である。生徒のイメージを豊かに確かなものにするためには教師の手助けがいかに大事であるかを教えてくれる。

さて、イメージ化の読みにおいて、留意すべきことは、叙述・表現・文脈に即することであろう。例えば、「秋」という言葉は、〈陰気さ・暗さ・寂しさ・わびしさ・冷たさ・地味・はかなさ・鋭さ・清澄さ・淡白さ〉など、多様な内包を持つ。しかし、〈くろがねの秋の風鈴鳴りにけり〉の中で、〈秋〉は、〈くろがね〉〈風鈴〉との文脈の中で、それにふさわしいイメージが選択されることが必要であろう。

次に、生徒自体の経験の不足は、イメージの固定化分散化を余儀ないものにする。

例えば、〈秋風や模様のちがう皿二つ〉の俳句の〈模様のちがう皿〉の場合、その表現のあいまい性も加わって独断や誤解によるイメージが予想される。この場合、この句の前書であるく父母のあたたかきふところにさへ入ることをせぬ放浪の子、伯州米子にあって、仮の宿りをなす〉を提供することも一方法であろう。その結果〈食卓の上に置かれた、それぞれ間に合わせの皿〉のイメージに近づき、〈しみじみとわが生の荒涼を思わないではいられない作者の心〉への実感の道が開かれよう。

 

以上、イメージ化の読みでの留意点を二点取り上げたが、作品の本質に迫っていくためには、イメージ化と表裏一体のものとして、概念化の読みが大切であろう。両者は、お互いに助け合い、補い合って、感動や理解を深めてゆくからである。この面での工夫の余地も多い。

いずれにせよ、文学作品の学習指導の中で、イメージ化の読みの果たす効用は大きい。そうすることによって、豊かな感受性、うるおいのある心情が養われることが期待されるからである。

 

社会科

 

社会科思考力を育てる学習形態、学習方法

−日本史の学習を中心として−

 

一、はじめに

 

学習指導要領の日本史の目標では、「文化の総合的学習」「歴史的思考力の養成」「世界的視野に立つ理解」等が強調されている。

本年度の教育課程研究集会においては、文化の総合的学習を「主題学習」「教材の構成や学習過程」を通じて研究したが、それらについての報告、検討を中心にまとめてみる。

文化の概念には、一般に人間の諸活動をすべて含む広義な概念と、その諸活動を政治・経済・社会・外交等と分類した場合の一つとしての狭義の概念がある。

学習指導要領では、狭義の文化が政治・経済・社会などと相互に関連し、人間活動を通して諸事象が統合されていることから、文化の総合的学習は、狭義の文化を中軸にして広義の文化をとらえさせようとしている。

政治・経済・社会・文化等は、事象どうしが直接に関連するのでなく、人間活動を通して関連する。歴史事象を常に人間活動の所産としてとらえ、人間活動そのものとして理解することによって、事象間の関連が有機的には握され、時代の全体像が構成されるので

 

 

 


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