教育福島0005号(1975年(S50)09月)-017page
れば理想的であるし、生徒の音楽学習面ばかりでなく高校生活全般にわたるレディネスを知り、音楽の成長過程のみならず、人間としての成長過程を温かく見守ることが必要であろう。なぜならば、音楽教育は一面感じる心を育てる重要な側面を持ち生き生きした音楽によってレクリェートされた生活観を持たせる生き方の指導であると言ってもよいからである。村田武雄氏は「音楽を生きる」という言葉を使っておられるが、それは人間指導の根本を踏まえない限り真の鑑賞教育はできないとする論であり、大いに参考にしたい。
四、鑑賞授業のスタイル
音楽史的な配列や作品の表題性・具体性からアプローチする方法などいろいろあるが、鑑賞教材の与え方については、
(一) 学習の領域関連を考えながら鑑賞の授業を進めることは、授業の流れや効率の上から大切なことである。一般的には、歌唱や器楽の教材にちなんだ選曲をすることは自然であり、現状でも一番多い。この際、歌唱教材だからといって歌曲という形だけではなく、音楽のイメージによる類似点、相違点など、柔軟さと豊富さに留意する必要があろう。また鑑賞の順序として、一般に単純なものから複雑なものへ、標題音楽から絶対音楽(具体から抽象)へ、短いものから長いものへ、というような段階は生徒の実態に合わせて当然考えられよう。
(二) 音楽1)における鑑賞教材の一例
〈郡山女予高校 鵜川敬史教諭〉
このスタイルは、音楽史と鑑賞を重視した形で、使用するメディアは
など楽曲の説明はプリントして渡しテープに録音した説明を聴きながら抜いてある必要事項を記入する作業をする。この方法は録音したテープに集中し、スライドの絵とともに書かれてある内容を注意深く見ないとプリントの空白を埋められないようないわば外発的動機づけを工夫した例として興味があり、参考になると思う。
(三) 鑑賞の根拠づくり
〈喜多方高校 管野久雄教諭〉
音楽1)では、ビバルディの四季(十二テーマ)運命(八テーマ)バイオリン協奏曲、メンデルスゾーン(七テーマ)新世界(十テーマ)を順序に沿ってステレオ録音し、また時にはピアノで弾いてやったり、生徒が楽器〈レコーダー〉で吹いたりして覚えさせるとともに、鑑賞の時間にもテープを前進させたり、逆もどしさせたりして三十七テーマの定着の徹底を図る方法である。その過程ではクイズ式の「テーマあて」や一年生七クラスいっせいの音楽鑑賞テストを全校あげて放送で行ったり指導過程をそれぞれ考え、この四曲がいつでも「聴き取り」「聴き分け」の基準になるように工夫されたよい参考例である。
(四) 日本音楽だけの鑑賞教材
〈安達高校 懸田弘訓教諭〉
音楽2)において、日本伝統音楽は総合芸術であるとの見地から、二学期二十六時間に大和時代から現代までの伝統音楽を計画的に鑑賞させて、生徒の鑑賞意欲を盛り上げている。〈曲目、鑑賞過程省略〉この例はかなり特異なスタイルであるが、懸田教諭のような伝統音楽に対する熱意と研究があれば、生徒の意欲をそぐことはない。
五、まとめ
以上はいずれも鑑賞の基本となる音楽観を、音楽1)あるいは2)までの鑑賞教育の中で作りたいとする数師の実践例である。こうしたplan-do-seeのサイクルを生徒サイドに立って教師自ら分析し自己評価しながら、スパイラルに鑑賞教育の中味を濃くしたいものである。
「心より出づ、再び心に入らんことを」、ベートーベンの“荘厳ミサ”の表紙に書かれたこの言葉を「音楽は昇華された愛である」とする彼のもう一つの言葉とともに、我々音楽教師はもう一度かみしめたい。こうした真しな気持ちと生徒愛に裏うちされた鑑賞教育を更に推進したいものである。
美術科
地域におけるデザイン学習
芸術教育は、すべての生徒たちのものであって、決して専門家の持つ完全さという高度の標準に従うことのできる少数の選ばれた生徒のためのものではない。
それゆえに、美術を選択した生徒には、美術の学習経験を通して、幅広い美術の教養を得させるとともに次時学習への発展的素地を養い、新鮮な感覚と自発的な活動性と生徒一人一人の個性と創造性がこの時期に持続され、発揮されるように、また美的造形活動を通して喜びを持たせるように図ることが、美術の学習指導にあって最も留意し工夫せねばならないところであろう。そこで、美術の領域の中で学習指導上問題点が多いとされているデザインの指導を取り上げ、美術の学習指導法の一例として考えてみたい。
芸術科美術のデザインは、視覚伝達のためのデザインであるが、学習指導に当たっては、専門性の高い内容を学習させ、作品の質の高さに対する評価にのみ終始することよりも、学習を進めていく過程の中で生徒の実態をとらえ、能力や学習意欲を勘案し、教材の精選集約を図り、学習効果を高めるために、具体的に学習の構造化を図ることが望ましいのではなかろうか。
そのため、題材の設定についても、