教育福島0005号(1975年(S50)09月)-029page

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生き生きとした顔

安田幹雄

 

子供たちは、一人一人違った顔をしている。しかも、これらの顔は、日に日に変わり、さまざまな反応をするからおもしろい。視線が定まらず、キョロキョロしている顔。赤面して、ただぼう然と見つめている顔。澄んだまなざしで見つめるすずしい顔。実に、いろいろな顔がある。これらの顔には、そのときのその子の心の動きが写し出される。

今年の五月ころであった。六年生を担任して一か月も過ぎるというのに、まだ「一問一答」の授業から抜け出せなかった。 「間違ってもいいから、思っていることを話そう」と呼びかけてきた私は、しだいにいらだたしさを感じていた。

その日は、三校時日の理科の時間だった。理科は、国語や算数と違って、子供たちが興味を持ってやる教科だ。「今日こそは、授業らしい授業を」そう思うと、胸がわくわくしてきた。「卵の中で、ヒヨコに成長していくところはどこだと思いますか」

「はい」元気よく手を上げたのは、いつも発表してくれる三人だけであった。これではいけない。そう思った私は、別の子を指名しようと辺りを見回した。子供たちは、私の視線と合うとみんな顔を伏せてしまった。

「なにをそんなにビクビクしているんだ。思っていることを自由に話して

みなさい」

「K子さん」私は、ふだんあまり発表しないK子を指名した。K子は、「はい」と小さな返事をしただけで、肩を丸めてしまった。他の子を、と思って見渡すと、指名されないようにとお祈りしているような顔、ただ黙ってうつむいている顔ばかりであった。私は、それっきり、閉ざされた子供たちの口を開かせる気持ちにはなれなかった。

次の日の学級会では、「もっと発表しよう」という議題が提案された。「みんなで発表しないと授業がおもしろくない」というのがKの提案理由だった。初め、どうでもいいという顔で聞いていた級友も、Kの熱心な説明に耳を傾け始めた。こうして、話し合いは「どうして発表しないのか」という話題へ進んでいった。

「女子は、いつも黙っているから悪い」

「そうだ。そうだ」話し合いが男女の対立といった変な方向に行こうとしたそのときであった。

「わわわたしは、いいおうと思ってもみみみんな笑うから……」

どもりがちなH子の発言であった。笑う者は一人もいなかった。いつもの授業で質問すると、手を上げ下げしていたN子は、

「私は、発表しようと思うのだけれど間違うと恥ずかしいから言えない」いつの間にか、なんとかしようという希望に燃えた顔、その顔の輪が学級全体に大きく広がっていた。その日の学級会では、「百点満点の答えは言うことはない。二十点分わかったら発表しよう」と決まった。

それからというもの、私は子供の立場に立って授業を進めるように努めた。「もう少し間を置いた方がいい」「あの顔は疑問を持っている顔だ」「この顔はわかった顔だ」と考えながら。

七月の国語の校内研究授業の日であった。多くの先生がたが見つめている中での授業である。私は、また子供たちが口を閉ざしてしまうのではないかという不安があった。

「この文章でおかしいところはないか」

「はい」

九名の子がさっと手を上げた。だれもが私に言わせてと言わんばかりの顔である。その中には、N子、H子の顔もある。K子はどうした。K子は、私の顔をじっと見て、ニッコリ笑った。指すなら指してもいいよという顔である。みんなの生き生きとした顔が、自分に迫ってくるような感じがした。多くのつまずきはあったが、私にとっては価値のある授業であった。

 

(安達郡東和町立南戸沢小学校教諭)

 

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