教育福島0005号(1975年(S50)09月)-032page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

教育随想

ふれあい

ある「思い出」から

 

ある「思い出」から

清野 昭二

 

もう五年も前のことになるが、お正月のある日、前任校でのかつての教え子Sから「先生にぜひお願いしたいことがあり、明日お伺いしたい」との電話があった。もし電話で済むことならと用件を聞いてみたが、「とにかくお会いしてから」ということなので一応電話を切った。Sは大学を卒業し東京都内の会社に営業マンとして勤めている。さてどんな用件か。いくらかっての担任で気心が知れているといっても、翌日までなんとなく気持ちが落ち着かなかった。

翌日、約束の時間にSは高校時代の同級生M子を伴って訪ねて来た。M子もSと同じく私のクラスにおり、高等看護学院を卒業し、当時福島市内の病院に勤めていた。Sたちは少してれながら、「実は私たち結婚したいので先生に仲人をお願いしたいのです」と、話し始めた。聞けば二人の家庭でも賛成しており、私の内諾が得られるならSの母親が正式に依頼に来るということであった。それまでは教え子の結婚ひろうなどに招かれることはあってもせいぜい苦手な祝詞を述べさせられるくらいだったのが、今度はなんと月下氷人の役である。人生経験の乏しい私たちにつとまるかどうか、一まつの不安はあったが、妻とも相談し結局この役を引き受けることにし、後日来宅されたSの母親にもお祝いかたがた承諾の返事をしたのである。

なにしろ私たちは初めてのことでもあり、よたよた運転ではあったが結納などの手続きも踏んで、その年の四月にはめでたく挙式、周囲の人々の祝福を受けながら新しい人生へと出発していった。現在では埼玉県に一家を構えSは都内に通勤し、子宝にも恵まれ幸せな生活を送っている。二人は在学中特に親しい仲ではなかったし、目立つ存在でもなかった。知らぬはHRTばかりなり、という訳でもなく、同級生たちも知らなかった。聞くところによると、何回目かの同級会の帰途、同じ方向に帰るので偶然いっしょになり、そのときからのつきあいらしかった。

これまでクラスを担任したこと数回不思議と共学のクラスが多かった。この中で異なる年度も合せると、同じ教室で机を並べて勉強してきた中から三組のカップルが誕生している。他の組も前の二人と同じように、卒業後何年かたって偶然の機会から結ばれたケースであるが、担任としては心からの祝福をおくるとともに、なにがしかの責任をも感ずるのである。でも彼らは、私が心配することもないほどたくましく成長しており、しっかりした考えの下に安定した生活を送っているようである。

現在の学校に移って四年目、女子高校なのでこのようなケースは起こりえないわけだが、ホームルームで男女交際について討議するときなど、素材の一つとして提供してみたら大きな関心を示してくれた。そして高校生としての男女交際のあり方を考える上での一助にもなったような気がする。

私たちが授業、ホームルーム、クラブ活動などを通して接してきている生徒たちとは、「卒業」という時点で別れることになる。しかしなんらかの意味での人間関係は残るわけで、最近よく言われている「生がい教育」の中で私たちはどのような部分を担当していけばよいのであろうか。いろいろ考えさせられる問題である。

ともあれ、かつての生徒たちが、充実した、安定した生活を送っていることを見たり、聞いたりする度に、なにかしらホッとした気持ちになるのである。

 

(県立福島女子高等学校教諭)

 

 

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。