教育福島0005号(1975年(S50)09月)-034page

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教育随想

ふれあい

スプーン一杯からの幸せ

 

スプーン一杯からの幸せ

尾平洋子

 

昭和四十九年四月四日、出会いの日。行儀よく並んでいる四十の瞳。こちらの指示には反応を示すが、自分たちからの働きかけが全くない。まるであやつり人形のようだった。四年生にして七人目の教師が私。短すぎた教師とのかかわり合いの中で、身についてしまった習いなのだろうか。今までの経験も理論も空回りするだけで、むなしさだけが残る毎日だった。

四月下旬、体をこわして休んでしまった私を待っていた子供たちの瞳に、言いようのない悲しみの色を見たときそして、「先生また変わっちゃうのかな」というつぶやきを聞いたとき、心の中を貫く何かがあった。何か分かったような気がした。

立ち上がろうとする私たちに、追い打ちをかけるような悲報が届いた。今でも子供たちが“一番好きだ”というI先生の死の知らせだった。三年生前半の担任だった若くてやさしいI先生。

「なんで、おれたちの先生ばっかり病気になっちゃうのかな」

「先生。おらほうの教室には、悪魔がついてんのかな」

「おれら、なんにも悪いことしねのに」涙をいっぱいだめて、初めて自分の言葉で語りかける子供たちの手をにぎっていっしょに声を上げて泣いた。

話し合って、“悪魔払い”をすることにした。子供たちの心の中のこだわりを追い払ってしまいたかった。F君のお母さんから届けられたお神酒を教室の真中に供え、手を合わせて祈る姿が悲壮に見えた。給食のスプーン一杯ずつのお神酒を、祈りを込めて飲んだ。「先生は絶対病気になってだめだぞ」と、もう一杯を進めるK君の瞳は、真剣そのものだった。

スプーン一杯のお神酒がきいたのか見違えるほど明るくなった教室。しかし、受身の姿勢は、そう急に変わるものではなかった。なんとかしなければという心のあせりが先に立つ。一人一人の心を大事にしながら、身を寄せてかばい合うようなお互いの結びつきから力強くはばたくための連帯感にまでもっていきたいというのが第一の課題自己表現(自信を持って)の場をどうしたらよいかというのが第二の課題。

“触れ合い”という言葉が、毎日の生活の中にしみとおっていくようになった二学期。それが、“ごんぎつね”の授業を通してより確かなものになっていった。一人一人の心の中に「ごん」が息づき、心の支えにさえなった。「ごん」は子供たちの成長に伴って成長していくだろう。そうあるべきなのです。なぜなら、「ごん」は子供たち自身ででもあるからなのです。

自分を知るためには多くの友達を知ることも大事と、研究仲間のクラスとの交流を通して、自分たちと違った生き方を知り、自分を確かめ、見つめ直すようになり、”触れ合い”の意味にも広がりができた。

自分を考えるという場は‘あらゆる場が考えられるが、国語科(文学教材)の持つ大きさに、今更のように驚いている。話すことだけが自己表現ではないだろう。話せなかったら書けばいい。心に食い込む国語科の授業を「書くこと」を前面にすえて取り組んで二年。

三行から五行。そして一ぺージ。増えていくノートの冊数につれて、子供たちの思考に、心に、深まりが見え、自分の意見が持てるようになったと思うのは、私の一人よがりなのだろうか。

今年の学校訪問の後、T指導主事から授業の感想の手紙が子供たちに届けられた。「教科書をよく読んでいること。自分の考えを文章によく表すことができること。一人一人が自分の意見をしっかり持って授業に臨んでいること」など、おほめの言葉に、子供たちの喜びは大きかった。私は、この言葉をすなおに信じて、書くことだけにとどまらないためにどうするかという次の課題への意欲づけにしようと思っている。

「T先生がお手紙をくれたのも触れ合いなんだね」私にそう言って、自分でうなずいていたS子。なんだか自分が大人になったようだと書いていたY子。分かってもらおうとしなくとも、一生懸命やれば心が通じるんだと言いきるA君。“触れ合い”の定義は、まだまだ増えていくだろう。

 

(西白河郡西郷村立米小学校教諭)

 

 

 


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