教育福島0008号(1976年(S51)01月)-030page

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教育随想

ふれあい

教科指導から

 

教科指導から

中井公子

 

文化祭作品展示コーナーのかたすみに、長い問立ち続け、自分の作品に誇りを持って眺めているM子の姿を見て、約二年間にわたる意図的な教科指導の効果を確かめることができ、ひそかに心うれしく感じた。

思えば、入学当初のおどおどしていたM子の姿から、教師の直感でなにかを予想することができた。

M子が幼いとき、母が死亡し、父と姉の手で育てられた.ためか、集団の中では決して口をきかず、黙っていておとなしい。私の指導教科、技術・家庭科の学習のときも、実銭活動を除いた知的な学習では、外見上問題はない。しかし、教育が家庭生活をりっぱに営むことのできる人間の育成を目指すものだということを考えると、M子も一人の生徒として掛け替えのない存在ななのだから、できるだけ、心の支えになってやろうと決心した。

ある月曜日、上ばきを忘れたM子に私の上靴を貸してやって、「ありがとう」という小さな声を聞くことができたときから、親しくすることができるようになった。

一、学習のつまずきに教師が助力を与え、劣等感を除いてやる

一年の被服製作では、布の裁断にも手がふるえるM子は、毎時間、教師の助力を必要とした。ミシン縫製の段階では、その遅れに対しては放課後、やさしく励まし特別に指導をしなければならなかった。やがて、みんなと同じブラウスが完成したとき、自分にもできる力があるのだ、という成功の喜びを味わせることができて、M子のコックリはニッコリに変わってきた。

二、共同、協力の精神をわからせる

調理実習ではいつも一歩下がって、手を出そうとしないM子の姿が目立っので、この教科の特性である共同、協力の精神と喜びを体得させることに特に配慮した。リーダーを呼んで相談しM子に適切な仕事を分担させるようにした。仕事を与えられたことで、グループの一員であることを自覚したM子の表情は明るく楽しそうだった。

一年の後期のクラブ活動では、家庭クラブに顔を見せるようになり、教室に入るとき、会釈をしてくれるようになった。しかし、まだ無言は続いていた。

三、学習意欲を喚起させ、賞賛を与える

二年の被服製作学習では、既習の基礎技能の上に立って、要所の留意点を示唆し、M子の能力に合わせ、主体的に製作学習が進められるようにし、あまり手を貸さないで製作させた。うまくできないところは、やり直しを繰り返させながら……。それをやり遂げたときに、心から賞賛してやる、それを繰り返しているうちに、ついに「今度はどうするの」と尋ねてくれるようになった。

例年実施されている文化祭の作品展に、今年初めてM子は、出品する気になって、「これ、作ったから見てください」と持参してきた。まだまだ手を加えたいところはあったが、展示してやることを約束して、ここまで変容してきたM子の成長に肩をたたいて喜び合うことができた。これを機会に他の級友とともに、どんどん伸びてくれることを祈らずにはおれなかった。

一人一人の生徒たちが持つ無限の可能性を最大限に伸ばし育てることが、教師の使命であると考えるとき、どんな悪条件の中にあっても、できる限り生徒たちとの会話に心がけ、彼らの毎日を喜びと豊かさに満ちたものにしたいと願うこのごろである。そして、生徒間相互の教師と生徒との暖かい心のの触れ合い、人間性豊かな心の交流に感動を覚え、それを支えに教育活動に専念できるとき、私は幸せだと思う。

(東白川郡鮫川村立鮫川中学校教諭)

 

 

 


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