教育福島0008号(1976年(S51)01月)-032page
教育随想
ふれあい
山の子に感激を
矢内金五
十月十九日、いわき市立植田中学校の体育館で、女子バレーボールの新人戦が行われました。私の学校の女子バレーボール部は地元の植田中と対戦し第一セット十五対三、第二セット十五対五と一方的に勝つことができました。今までどの大会に出てもすべて負け、勝つことの喜びを知らない生徒たちが目に涙をいっぱい浮かべて私のもとに走ってくるのです。「先生、勝ったよ」と口々に言いながら。
思い起こせば、私は今年の四月、海の見える高台の学校から、この学校に転任してきました。学校の位置や大きさを紹介しますと、学校は阿武隈山地の山奥で、バスの終点から歩いて約一時間のところにあり、生徒数三十三名の小さな学校です。前の学校が千百余名の大規模な学校でしたので、最初のうちは、授業など成り立つだろうかと疑問に思いました。この学校に赴任する前、車で学校を見に来たとき、道で会う生徒が車に向って、きちんとおじぎをするのには心を打たれました。山の学校は初めてなので、心細かった私は、この礼儀正しい生徒に接し、「よし、この地域の生徒のためにがんばるぞ」と決心しました。
赴任した日から、私はこの山の子らに感激を与えてやりたいと思い、バレーの練習を始めました。六月の中体連では、一セットを取ることができました。しかし、念願であった一勝をあげることはできませんでした。中体連が終わり、一、二年生が練習の中心になったとき、私は生徒に、次のような指導をしました。「君達の目標は二つある。一つは、ユニホームを着て試合をやること。もう一つは、一勝をすること。それを達成するために、これからはきびしくやるぞ」と。夏休みにも、日程を決め、黙々と練習をしました。練習量に比例して、バレーボールの技能も向上してきました。九月の運動会の余剰金で、ユニホームを買ってもらえることになり、九月三十日、運動具店からユニホームが届きました。私は早速生徒を呼び、ユニホームを着せました。生まれて初めてユニホームを着る生徒の表情は、うれしさでいっぱいでした。中には、友達と見せ合い、喜びを体いっぱいに表現している生徒もいました。私は生徒のユニホーム姿を見て、ユニホームを買ってもらって、本当によかったと思いました。
そして、十月の新人戦、ユニホーム姿で整列した生徒に、「しっかりやれよ」と声をかけました。もちろん、私自身、会場へ来るまでは勝てるとは思いませんでした。せっかくユニホームを買ってもらったのに、一回も勝てなくてはと、試合の前夜は不安で眠れませんでした。しかし、会場で練習をしているとき、セッター役の生徒の顔を見ました。すると、いつになく顔がすっきりしているのに気づきました。私はその瞬間、これは勝てると確信しました。試合が始まると、練習で怒られてばかりいた生徒のスパイクが、相手のコートに鋭くつきささっていくのです。ベンチにいる補欠の生徒も、旗を振って一生懸命応援しました。私もあらんかぎりの声を出し、アドバイスを送りました。試合は、試合前の予想に反して、一方的に勝つことができました。
町の学校では、一試合勝つことぐらい、たいしたことではないかもしれません。しかし、この学校の生徒の中には、片道九キロもある山奥から通っている子がいます。ですから、練習も三時三十分から五時までしかできません。町の学校の半分しか練習していないのに、堂々と勝つことができました。私は今まで、市大会準優勝の経験があり勝つことには慣れていましたが、この勝利ほど腹の底からうれしさがこみ上げてきたことはありません。「ああ、この山の子らにバレーボールを教えてよかった」としみじみ思いました。ユニホームを初めて着たときの生徒の喜びや、町の学校に勝ったときの生徒のうれしそうな表情を見て、 「感動こそ教育なり」と言われるゆえんが、私なりに理解できたような気がしました。十一月も終わりに近づき、寒さが一段と厳しくなってきましたが、来年こそ入賞という、もう一段階上の感激を生徒に与えてやりたいと思い、また練習を始めました。
(いわき市立貝泊中学校教諭)