教育福島0053号(1980年(S55)08月)-028page

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随想

 

保育のよろこび

 

佐藤房子

 

佐藤房子

 

「先生、小学校の校庭で遊びたい」ふっと振り返ると、哀願するかのような目で見つめるY子がいる。「そう、じゃあみんなで小学校の校庭へ行って遊んでこようか」という言葉に、一斉に「ワーッ」という歓声。

このY子もつい二か月前までは集団生活にとけこめず、登園をいやがり、泣いたり欠席したりの毎日でした。もちろん、友達や教師との会話などには全く興味を示さず、給食には箸をつけようとさえもしない状態でした。

ところがある日、私は小学生が校庭で元気よく遊ぶ姿をジッと見ているY子をみつけたのです。園庭が狭いため思う存分体を動かすことができないので、小学校の校庭で遊びたかったのでしょう。「学校へ行って遊んでこようか」というと「うん」というとても元気のよい返事。そこで、園庭で遊んでいる子供たちにも声をかけ、校庭まで全員全力で走ります。校庭についた子供たちは自分の好きな遊具での遊びを始めました。ブランコに乗る子、ジャングルジムにのぼる子、一人一人がとても生き生き活動していました。

特に子供たちが好んで遊んだのが、いろいろな形に木材を組み合わせた遊び場だったのです。「ここはロケット基地だ」と、たちまち基地になったり「ここは船で下は海だからみんな落ちないように気をつけて!」「あっ、落ちちゃった。泳いでいこう」、子供たちの遊びは無限に広がっていきます。

そして、この時のY子は、広い場所で体を自由に動かし、思う存分遊ぶことができた満足感と喜びで、とても明るく生き生きとしていたのです。給食の時も、今までは給食に箸をつけることさえもしなかったY子が、「先生、今日は給食も全部食べるよ」と耳うちし、おいしそうに食べるのでした。

「今日はおもしろかったね」「明日もまたやろうよ」、給食時の子供たちの会話でした。

「先生と一緒に遊べる」「一緒にかけっこをしたり、ブランコができる」自分と教師との一体感、体と体のふれあいを通し、Y子の心の中には友達あるいは教師に対する信頼感が一層深まりを増していったのでしょう。それからのY子は毎朝喜んで登園し、戸外へ出て活発に遊び、発表力も身につき、堂々と発表するようになりました。

最近は“テレビッ子”が増え、夕方遅くまで泥にまみれて遊ぶ子供の姿をみることが少ないといわれています。また、体力づくりよりは知識のつめこみが多くなり、ちょっと転んだだけで骨折してしまうというニュースを耳にするたびに、幼児期の体力づくりの大切さを感じます。

「体を動かすこと」と「土との触れあい」、この二つは、幼児が本能的に持っているものであり、これらの活動をしている時が幼児本来の姿ではないかと思います。また、十分に体を動かして活動することにより、活動できた満足感と自信を持って自分の思ったことを発表したり、行動面でも積極性を増し、何事に対しても意欲的に取り組めるようになれるのではないでしょうか。

こうした子供を一人でも多くするため、これからも保育の中にも運動的遊びを多くとり入れ、「運動することの好きな子供」に育てていきたいと思います。

明日も元気よく登園してくる子供たち。着替えを終えると一斉に戸外へ出て、かけっこ、泥遊び、砂遊びなど、泥まみれになって遊ぶことを願いながら…。

(原町市立高平幼稚園教諭)

 

戸外で楽しく

戸外で楽しく

 

 

 


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